このブログは「風見鶏」が、日々気づいたこと、思ったこと、したことを気ままに綴る日記です。2008年9月に旧ブログから引っ越しました。バックアップをご覧ください。

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なお、ここに書いていることは、あくまで個人的な思いであり、いかなる組織をも代表、代弁するものではありませんし、無関係ですので念のため。

2008年9月アーカイブ

どこかの国有鉄道くずれの会社がやってるキャンペーンではないのだけれど、なんとなくそんな気分になった。

今週も、いろいろあって疲れもたまった昨夜の帰り道、ふとそんな考えが頭をよぎった。一夜明けて今朝になっても、その気分はかわらず、カメラ一丁もって新幹線に飛び乗った。

京都タワーのこの雰囲気は35年前とかわっていない。しかし、京都駅は、当時の面影のかけらもなく、現代的なビルに生まれ変わっている。秋の横にある郵便局のビルは、さほどかわった様子もないのだが、駅前がこれだけ大きく変わると、なんとなく違和感も大きい。

そう、35年くらい前、私は京都に住みついた。大学に入って郷里を離れ、そのまま約10年ほど、京都に住んでいたのだ。つまり、「京都へ行こう」と思ったのは、「世界の観光地」京都に行きたかったからではない。かつて自分が住んでいた街を、ふと訪ねたくなったからだ。

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京都駅前のバスターミナルに並んだ行き先案内は、どれも懐かしい地名ばかりだ。京都に住んだことのない人にとっては、いずれもガイドブックにある観光スポットなのだが、私には、それぞれに、日常につながる想い出がある。

バスに乗るのはなんとなくもったいない気がして、とりあえず北へ歩きはじめた。七条烏丸から七条通を河原町方面に歩く。

ふと前を見ると、着物姿の女性。ああ、なんとなく京都・・・・いや、これはステレオタイプなイメージなのだが・・・。でも、こうして歩いてみると、女子高生くらいから妙齢の女性にいたるまで、やはり美人が多いなぁ、と思う。おじさんとしては、なんとなく嬉しい。

河原町通りを七条から五条、そして四条河原町まで歩く。さわやかな天気で、日陰を歩くと気持ちがいい。京都としては、春先とこの季節が最もいい季節にちがいない。連休の狭間で、観光客も比較的少なく、夏のうだる暑さや冬場の底冷えもなく、散策するには絶好のタイミングだったかなと思う。

四条大橋のたもとから鴨川べりに下り、川沿いを三条まで歩く。川沿いの「床」はまだ営業中。今日は最高の床日よりにちがいない。三条大橋手前で川沿いを離れ、河原町通りに戻る。木屋町と高瀬川の雰囲気はこれも京都。

御池の京都市役所を横目に丸太町通りまできて、ここからちょっと寄り道。鴨川をわたる。

仰げば比叡、千古のみどり、伏す目に清しや、鴨の流れの・・・・

我が母校の校歌の一節である。 こんな景色を見ると、ふと口ずさみたくなる。そこからそれほど遠くないところに、ぷーたろ時代のバイト先がある。

バイト先は、小さなステージスタッフ会社。オーディオ好きが高じてPAエンジニアの手伝いのバイトをやっていた。聞こえはいいが、仕事の多くは荷物運び、設営、撤収作業だから、かなり体力勝負の仕事だ。そんな仕事の中で唯一暇なのが、「小屋番」つまり、契約しているホールの音響スタッフ番の時だ。上の写真は事務所の下の喫茶店。よくたむろしていた店がまだ残っていたのは嬉しかった。今だから言うが、実はこの店のおねーさんにちょっと恋心を抱いていたのだが・・・、今はどうしているのだろうか。その下の写真は、小屋番をしていた小さなホール。これも昔の雰囲気そのままだった。

さて、鴨川沿いに戻って川端通りを北上。荒神橋を渡って、また河原町通りへ。府立病院前。そして、今は府立医大になってしまっているが、その昔、うちの大学の文系学部の小さなキャンパスがあった場所。母校の立命館が衣笠に引っ越して、しばらくは大手予備校の校舎になっていたのだが、今は当時の建物はもうひとつも残っていない。

そして、河原町今出川から、また鴨川方面へ。このあたりは、サークルの活動などで、よくきていた場所。この橋のちょっと上流で、加茂川と高野川が合流し鴨川になる場所。「三角州」と呼ばれていた。橋の上からは大文字山や、「法」の字も見える。大文字焼きの日は、ここは人の海と化す場所だ。

さて、河原町今出川付近に戻って、いいかげん歩き疲れたので、バスに乗った。このバス停のあたりに、30年前は「じゃるだん」という喫茶店があって、悪友たちと夜更けまで何時間も入り浸ったものだ。今はもうすっかり雰囲気が変わってしまっている。59番のバスは三条京阪から山越行き。衣笠と先ほどの広小路を行き来した当時の立命館大生御用達のバスだったのだが・・・。なつかしいので、ついでにこのバスで衣笠まで行ってみることにした。

バスは今出川通りを西に向かい、千本通りから北大路、そして金閣寺を経由して衣笠へ行く。金閣寺のあたりからは左大文字が見える。

衣笠(今は、立命館大学前と名前が変わっていた)バス停前の堂本美術館は昔のとおり。当時、こちら側から大学の入口には何もなかったのだが、今は門と受付ができ、駐車場もある。

もう一つの入口、「以学館」側の入口はなんとなく当時の雰囲気があるが、こちらもきちんとした門ができて守衛所がある。これもご時世だろうか。昔はのどかだったなぁ、と。建物は綺麗に塗り替えられ、当時のコンクリートむき出しの雰囲気とはだいぶかわっている。ごてごてした立て看も見あたらない。時代は変わった。校門前の路地には、いくつか食堂があったのだが、それもなくなっている。学生の数が減ったからか、それとも嗜好がかわってしまったのか・・・・などと想像してみた。ちなみに、もう理系学部はこのキャンパスではなく、滋賀県の草津に立派なキャンパスがあって、そちらに移転済みだ。

それから、今度は北野白梅町方面へ歩いた。京福電鉄(通称、嵐電)の線路沿いに出て、そこから白梅町(つまり、西大路と今出川通りの交差点)へ向かう。嵐電の駅は昔のとおり。授業をサボって入り浸った「衣笠会館」「ニューパラダイス」の2つのパチンコ屋はいまだ健在。博打業界だけは不景気もあまり関係ないらしい。昔、吉牛があった場所はスーパーになっている。そこから少し下がって「大将軍」の交差点。このあたりにも、よなよな入り浸った喫茶店があったのだけど、コンビニになってしまっていた。

そこからしばらく歩いて、下の写真の小さな寺・・・。ここは、当時の悪友が下宿していた寺。よく泊まりに来て、夜通し話し込んだものだ。そして、そこからもう少し歩いたあたりに、京都時代の最後の数年を過ごしたボロアパートが・・・・・、と行ってみたら下のとおり・・・。

でも名前を見たら、「メゾン EIWA」だって・・・。当時住んでいたボロアパートの名前が「栄和荘」だったから、こりゃ、建て替えたな・・・と。まぁ、なつかしい名前の一部だけでも残っていたのは嬉しい。

さて、いったい京都に何をしにきたのだろう。たしかに、懐かしい場所をまわるのは楽しいが、もしかしたら無意識に、この街に忘れてきた何かを探しに来たのかもしれないなと思った。何を・・・というのはわからない。でも、こうしてかつての想い出深い場所を巡っていると、何か忘れていたものを思い出したような気もする。すっかり「大人の日常」に埋没しているなかで、燃え残った何かをまた燃やすために探している・・・そんな気がした。

さて、そこから少し下って歩いているうちに、そろそろ足の限界に近づいてきた。なんだかんだで10Kmくらいは歩いたかもしれない。若い頃ならいざしらず、この体重オーバーの身では膝を痛めてしまいかねないので、二条駅から電車に乗って京都駅に戻った。二条駅それから山陰線(とは言わないのか・・もう)はすっかり綺麗に整備されていた。

そんなこんなで、「思いつきの京都旅行」は終わった。なんとなく少し元気が出たような気もする。また、何かの折りには今回行けなかったたりにも言ってみたいなと思う。

しかし、さすがに疲れた・・・。風呂に浸かって寝るとしよう。

この数年で多くの企業が情報セキュリティに対して多くの投資を行っている。この経費削減の嵐が吹き荒れる中である種の「聖域」を確保してきたのだが、その投資の多くが、その時々のクリティカルな問題に対してとりあえず対処する形で行われているため、結果的に一貫性を失ってしまっていることが少なくない。セキュリティ対策導入のトレンドを年代順に見てみると・・・

 

・90年代後半: インターネットの普及と電子メールウイルスの増加

   ファイアウォール、PCウイルス対策

・00年代初頭: ネットワークワームの蔓延、ウイルス・ワーム被害の拡大、Web改ざん(第一次)

   不正侵入検知、防御対策、メールやサーバレベルのウイルス・ワーム対策

・00年代中盤: 個人情報保護法、Webアプリ攻撃(SQLインジェクションやXSSなど)の顕在、Winny(Antinny)騒ぎ

   データ暗号化、PCやネット監視、利用規制(Policy Enforcementやモニタリング)、WAF( Web Application Firewall)

・00年代終盤: JSOX,

   ログ取得、管理、レポーティングツール、リスク可視化ツール、ID管理ツール

 

このすべてを導入した企業も少なくないだろうし、その累積投資額は億単位となっているはずだ。このすべてが現在もなお企業の中で動いているわけだが、はたしてその運用はどうなっているのだろうか。

現在、次にくる脅威として叫ばれ始めているのが、マルウエア(ウイルスなど)を悪用して特定の組織を狙う「標的型攻撃」(Targeted Attack)である。いわばオーダーメイドのウイルスを使って狭い範囲で実行されるこうした攻撃に対しては、既存のどの対策も十分ではない。まさに、Silver Bullet(つまり、狼男を一撃で倒せる聖銀の弾丸)のない脅威である。当然こうした脅威に対抗できる新しいテクノロジーの開発は急務なのだが、おそらく100%のものはできないだろう。つまり、なんとか既存の対策の網を狭めて、どこかでひっかけるしかないのである。そう考えたときに、おそらく問題になるのが、既存のセキュリティシステムの運用である。

おそらく、どこの会社でも、IT部門が主体となっているのだろうが、近年のシステムの運用にはかなりのセキュリティ知識が必要になることもあって、専門のチームやアウトソースによって運用されてることも多いだろう。たとえば、ファイアウォールのログとIDSのログと、ウイルス対策システムのログとを全部チェックしなければいけない状況が生じたとき、どれくらい迅速に対応が可能だろうか。ログだけならばいいが、これらの設定を全部変更しなければいけなくなったときにはどうだろう。もし、これらの運用を担当する人たちの間の連絡が十分でなければ・・・、さらには、全体をきちんと統括できる人がいなかったら・・・、それは困難を極めるはずだ。そんな状況が、あちこちで起きてはいないだろうか、というのが最も気になる点である。そんな状態でさらに屋上屋を重ねるように新しいシステムを導入していけば、問題はどんどん複雑化していくだろう。このあたりで、一度見直しが必要だ。

 

システム運用や技術対応のみならず、セキュリティマネジメントの面からみても現場の混乱が見られる。たとえば、セキュリティに関連する規格やそれらが唱えるベストプラクティスの氾濫だ。ISMS(ISO27000シリーズ)、プライバシーマーク(JISQ15001)、COBITなど、目的が異なる規格が「セキュリティ」に関する要求事項を似て非なる形で定義している。さらに、昨今のBCP・BCM重視の流れの中には、さまざまなビジネスリスクを管理しようという流れがある。これらは往々にして企業内で異なる部署によって所管されている。ちょっと考えればわかることだが、微妙に異なる要求をそれに忠実に別々の部署が実施しようとすれば、間違いなく混乱が発生するだろう。ひどい場合は、「お役所」間の紛争に発展する可能性もある。これらの似て非なる規格の共通点はかなり多い。たとえば、最も幅広いCOBITに各規格の要求をマッピングしてみて、そこからはずれているもののみを個別に対応するようにできればいいのだが、これをやるには、できればこうした規格をまとめてひとつの部署が所管するような形が必要だ。さらに、話をビジネスリスク全般に拡大するならば、この組織は企業のリスクマネジメント全体を所管する組織の一部である必要がある。ある意味で、そろそろこうしたリスクマネジメントにかかわる組織の抜本的な再編が必要な時期に来ているのかもしれない。

 

脅威が複合化、複雑化、高度化し、その対応も同様になっていくことを考えれば、これらをいかに統一的に管理できるかが今後のセキュリティの課題であることは間違いないだろう。こうしたことはトップ主導でなければできない。形ばかりのCSO/CISOではなく、専門的な知識と経営センスをあわせもち、CEOと本気で渡り合えるレベルのCSOまたはCROやCIOが必要なのだろうと思う。言うは易しではあるが、そんな形が一般化していくことを祈りたい。

そういえば今朝方地震があったけど、そういう物理的な話ではなく・・・

 

ちょっと米国のニュースサイトをつらつらと眺めていて、このところ日本に関する記事がほとんど見られないことが気になった。政治の世界がこれだけ揺れ動いていて、おそらく政権の行方によっては、国際社会に与える影響も、少なからず・・・・・などと思っているのは、もしかしたら日本人だけなのではないかと不安になった。つまり、他国(といってもアメリカしか見ていないのだけど)から見れば、日本の政治動向など、ほとんど気にならない。国際社会に与える影響も「誤差」の範囲内だということなんだろうか。FTA問題では、環太平洋で日本抜きの動きが進んでいる、という報道もある。日本の株式市場も海外ファンドの投機合戦の場と化してしまっているように見える。政府がいかに個人投資を活性化しようとしたところで、これじゃ危なっかしくて手も出せない。個人が中長期的に投資を考える環境など、今の日本にはありはしない。

 

選挙に踊っている政治家の様子をニュースで見るにつけ、なんとなく暗い気持ちになってしまうのは私だけだろうか。

 

昨日の夜、こんな景色が見えるあたりで、先日行われた若者育成キャンプの反省会が開かれた。

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そのあとの懇親会で、実行委員長のM氏とあれこれお話をしていたのだが、若者たちに「セキュリティ」を教えることが、彼らの将来にどう役立っていくのだろう、という話になった。「プログラミング」とかいうことならば、直接的に、その力を活かしてIT業界で活躍・・・という構図なのかもしれないが、「セキュリティ」もやはりそうなのか。M氏はキャンプの卒業生がそのままセキュリティ業界に行ってほしいとは思わないと言う。一旦、他のIT技術、たとえばプログラミングなどを学んで、そちらの仕事をしてからセキュリティの世界に戻ってほしいというのである。

 

実は私も同じことを考えていた。そもそも、「セキュリティ」は、何か「守るべきもの」があって「それを脅かすものがいる」という構図があって成り立つものだ。「守るべきもの」を知らずして、それをきちんと守ることは難しい。純粋に「セキュリティ」のみを学んで(そもそもありえないと思うのだが)それで仕事ができてしまうような世界はちょっと変だ。

 

「セキュリティビジネス」がひとつの業界になるのはいい。だが、セキュリティ「専業」の企業ができることの範囲は意外と狭い。なぜなら、それ以上の範囲に踏み出そうとすると、顧客のIT全般、さらには業務に踏み込んでいく必要が生じるからだ。これには、相当な「総合力」が必要だ。まさに、この部分はIT業界全体においても大きな課題となっている部分である。これを避けてセキュリティだけを生業とするならば、単に製品を売るか、何か起きた際の「技術的な」火消しのお手伝いをするか、型どおりの検査や監査、監視のサービスを提供するくらいしかない。ただ、このレベルだと顧客の側にも、自分たちの仕事にあわせてセキュリティ企業を使いこなす力が求められるのだが、実際、多くの企業にその力はない。そのままだとセキュリティをなかなか買ってもらえないから、セキュリティ専門企業は顧客の恐怖心を煽る行動に出る。恐怖をあおられた側は、それを無視するか、安心感を得るために、その効果もきちんと評価できない状態でセキュリティを買うかしかない。結果として顧客のセキュリティ対策はパッチワーク化する。

 

企業のみならず、いわゆるセキュリティの「専門家」にも同じことがいえる。(ここでいう専門家は特定技術の専門家ではなく、セキュリティ全般のコンサルタントのようなジェネラリストを意味しているのだが・・)もちろん、業務知識に精通し、最新のIT技術も理解した専門家も多いだろうが(そう信じたい)、付け焼刃の「専門家」に多いのが、「リスク」という言葉を不用意に振り回す輩である。現在、セキュリティのリスクをきちんと定量評価するような手法は一般にはまだ確立されていない。しかし、定性的な分析であっても、いくつかの異なる角度から見てやることで、相対的な重さはある程度判断ができる。だが、リスクは決してゼロにはできない。「リスクがある」というような言い方は、ある意味で殺し文句である。言われた側はそれが些細なリスクだったとしても、かなり委縮するだろう。非専門家に対してこの言葉を使う場合はかなり覚悟がいる。たとえば、その顧客の業務にとても有用な新しい技術が出てきたときに、その有用さを知らない「専門家」が「リスク」を口にしたらどうなるだろうか。この言葉は、顧客の経営層を直撃する。特に、昨今、会社の経営陣は「リスク」という言葉に非常に神経質になっている。間違えば、せっかくその企業の優位性を高めるかもしれない新技術がお蔵入りしてしまうかもしれない。漠然とした「リスク」の一人歩きにはこうした危険がある。「リスク」を口にする以上は、それが、相手にとってどの程度のインパクトをもたらすのかをきちんと説明し、ビジネス上のメリットとのバランスをとれるだけの情報を提供できなければ、「専門家」とはいえない。そのためには、セキュリティの教科書を読んだだけではだめなのだ。セキュリティを「売り逃げ」するつもりならば別だが・・・。

 

そういう意味で、若者たちには広い勉強や仕事をしてほしいと思う。その上で、彼らがまたセキュリティの世界に戻ってきたとき、彼らは本当の意味での「専門家」になれるのだろうと思う。 自戒を込めて言えば、そういう意味での勉強には終わりがないと思っている。常に最新のIT知識や、さらには経営知識や様々な知識や経験を積んでいくことをやめてしまったとき、セキュリティ屋としての自分のキャリアは終わるのだろうと思う。さすがに、もう若くない身としては、かなりきついのだが・・・・、まぁ、頑張るしかない・・・か。

雑感

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なにやら世の中が騒がしい。政府トップの辞任騒ぎから始まった政治ショーはまさに茶番。受けて立つはずの野党もなにやら足並みがそろわない。美しい国の政治は、かくも低レベルな連中が仕切っているのかと思うと先行きが不安になる。官僚機構主導の施策を非難しながら、でもそれを使いこなすだけの指導力もない。中途半端に官僚機構を揺さぶったから、盤石だった日本の官僚機構にも相当ガタがきている。本来、そこにくさびを打ち込んで、政策主導に持ち込むのが政治家の仕事なのだろうが、それをやるだけの実力やブレーン、指導力もないと見える。そりゃ、長年、一党が政治を支配して閣僚ポストのたらいまわしをやってきたのだから無理もなかろう。野党もたよりないが、ここはひとつ、悪しき形を変える意味で、一回政権を取ってもらったほうがいいのかもしれないなと思う。政治家がきちんと(単なる御用学者ではない)政策ブレーンをかかえて主導していく形が「必要」になるような環境も必要なのだろうから。

 

米国のサブプライム騒ぎが世界を揺さぶっているが、これはまさに日本の不動産バブルとまったく同じ。見せかけの好景気に庶民を浮かれさせ、返済能力以上の借金を負わせることで、見た目は消費が増えてカネがまわっているように見えているのがバブルの本質だろう。金がない庶民には負の資産を背負わせ、間接的に金持ちの間で金をまわすという形は、一種の「架空取引」だ。そりゃはじjけて当然。資本の論理を自由に歩かせるとこういうことになるという典型だ。米国政府は日本の悲しい経験に少しは学んでいるようだが、これは事後対応にすぎない。未然に食い止められなかったのは、資本主義経済の権化たる宿命なのか。

 

凄惨な事件も多い。弱い子供や年寄が被害にあうケースがほとんど。いつの間に日本の社会はこんなに腐ってしまったのか・・・。もしかしたら、自分の将来に希望が持てず、生きることに行き詰ってしまった人がどんどん増えているのかもしれないなと思う。何かのきっかけで犯罪に走ったり、破滅的な行動に走ったりするのは、そういう人たちなのかもしれない。いったい、この社会的な閉塞感は何なんだろうか。茶番劇に興じている政治家たちはどう考えているのだろう。

食品偽装、事故米問題・・・企業倫理の問題だが、これも根深い。コンプライアンス以前にモラルの問題なのだろうが、法律で規制されていてもなお不正をはたらくという意識は簡単にはなくならないだろろうと思う。「食足りて礼節・・」ではないが、特に中小企業にとっては、厳しい環境が続く中、このような「確信犯」的な不正は様々なところで常態化しているのではないのだろうか。単にチェック強化という以上の施策がないと、一旦下火になっても、ほとぼりがさめればまた・・・というようなことになりかねない。中小企業の経営状態の悪化が顕在化する可能性もある。永田町はこのあたりにも無意識なようだ。申し訳のような大臣辞任劇、事務方トップと刺し違えた格好だが、任期残り数日の大臣が辞めてもあまり説得力はなかろう。野党は、はたしてこうした問題に本質論で臨むことができるのだろうか。

 

書き始めるとキリがないからこのくらいでやめておこう・・・

去り行く夏の余韻

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越後湯沢で一泊した後に、長野県方面へ移動。六日町から飯山に抜け、それから野尻湖へ。なにゆえ野尻湖かといえば、その昔、ぶらっと行った野尻湖で見た星空が今も記憶に残っていたこと。手が届きそうな星空を飽きずに夜半まで眺めていたのを思い出す。天気はいまいちなのだけど、もし宿が取れれば、と思っていってみた。

 

しかし、観光案内所は閉鎖状態、少し歩き回ってみたが、よさげな宿もないので、とりあえずプランB=温泉ハシゴモードに。湯田中まで下りて宿を探すが、ここもまた案内所が全部しまっている上に、狭い道をぐるぐる車で回って歩くのに疲れてしまった。とりあえず中野まで戻って昼食。それから、しかたがないので志賀にでも上がって、そのまま草津にでも抜けようかと思っていたところ、道の駅でゲットした志賀高原マップに「観光協会」の文字。とりあえず、蓮池の志賀ロープウエイに利場横の総合会館98という不思議な名前の建物へ行ってみる。なんとなく閑散とした様子に不安を覚えたが、中に入ってみると観光協会があった。聞いてみたら、発哺温泉で宿が確保できた。

・・・というわけで、昨夜は志賀高原泊で、ついでに温泉ハシゴとなった。西館山の中腹から見た夕日は格別。

 



日が暮れてから雲が出て、中秋の名月はあきらめていたが、夜半に雲の切れ間から月がのぞいた。

 

さて、一夜明けて、気持ちのいい朝。一風呂浴びて朝食をとり、去り行く高原の夏の余韻をしばし味わってから、宿をあとにした

 

志賀草津道路・・・と思ったのだけど、天気がいまいちなのと、軽井沢方面の混雑が予想されるので、そのまま山を下って中野ICから長野道に乗った。帰りはきわめて順調。渋滞もなく(練馬も・・・)午後1時半ごろには自宅に帰りついた。まぁ、思いつきで出かけたにしては、なかなかいい旅だったかもしれない。

放浪中

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連休に何も予定をたてていなかったのだけれど、家でうだうだしてるのもしゃくなので、とりあえず車で出かけて、現在、越後湯沢あたりに滞在中。朝風呂のあと、朝食をとって、しばしまったり。

さて、今日はどこへ行こうか・・・。

#このブログの画像、表示サイズを変えているものの、ダウンロードは実サイズになっていて、ブロードバンド環境ではほとんど気にならないけど、携帯でアクセスするとかなりパケ代が気になることに気がついた。帰ったらちょっと方法を考えよう・・・。

さわやかな一日

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早起きモードもはや3ヶ月、さすがに4時起きはちょっと辛くなったけど、まだ5時台はキープ。ちょうど日の出時頃に家を出る。今日も駅前の歩道橋で朝日を見た。

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朝の電車は5時台ならばほぼ確実に座れる。6時台の前半は運がよければ座れるが座れないことも多い。そんな電車になれてしまうと、たまに寝坊してラッシュ時間帯にかかったときに、辛いことになる。どうやらもうラッシュアワーには電車に乗れない体になってしまったかもしれない。

有楽町まで行って、そこから晴海通りを歩き出すころには日がもうかなり高くなっている。ここ数日は、湿気のない気持ちのいい朝で、歩くには絶好のコンディションだ。かちどき橋の上からみる隅田川も気持ちがいい。

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昼休みになると少し気温も上がったけれど、空気はかなりからっとしていたので、久しぶりにロングコースの散歩に出てみた。やはり炎天下は結構あつかったけど、真夏の蒸し暑さに比べればずいぶんマシ。豊洲から対岸を回って晴海大橋から戻ってくるコースも、ちょっと日焼けしたものの、どうにか歩けるようになってきた。晴海大橋の向こう側にかかりつつある橋ごしに、晴海埠頭に停泊中の帆船が見える。この橋ができてしまうと、船が見えなくなるのかな・・・。

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夕方もまた気持ちのいい風が吹いていた。また晴海通りを歩いて帰ったのだけど、隅田川ごしの夕景がまたグッド。

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さて、明日も早起きできるかな。そろそろ寝なくちゃね。

雷・・・・

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なんだか雷がすごい・・・、雨もかなり激しい。

昼飯も食わずに、このブログを立ち上げてたんで、かなりおなかがすいてるんだけど、飯食いに出たら濡れそうだなぁ・・・。

MOVABLE TYPEとの格闘

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とりあえず、インストールしたものの、ここまでくるのに結構時間がかかった。体裁をある程度納得がいく形にするまでに、デザインテンプレートの腐ったCSSをいじってなおしたり・・・。まだまだ、ちょっと不満な部分があるものの、なんとか一応の形になったんで、公開することにします。

perl のライブラリをあれこれつっこんだのだけど、なんとなく依存関係がいい加減でうまく動いていないのがありそう。ぼちぼちなおしますわ。

 

MOVABLE TYPEでうまく写真を扱えるかどうかのテスト。デフォルトでフル画像を上げると結構悲惨なことになるので、HTMLを直接操作しないといけなそう。まぁ、ココログでもタコなスクリプトを書き直していたんで、手間はそんなに変わらないかな・・・。

とりあえず、このまえ撮った昼の散歩の画像など。

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ココログで容量制限をかけられてしまったので、高画質画像や動画を公開するという、もともとココログを使っていた目的がはたせなくなくなってしまいました。

非常におもしろくないので、自前のブログをたてて引っ越すことにした次第。

今後、新しい日記は、こっちで書いて、ココログ側は段階的にアーカイブして、こちらのサーバにもってきて、いずれは閉鎖しようかと。少なくとも、容量をタダで使えるレベルにまで削って、余分な金を払わなくていいようにしなきゃ、気がすまない・・。ということで、今後はこちらでよろしくお願いします。

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