このブログは「風見鶏」が、日々気づいたこと、思ったこと、したことを気ままに綴る日記です。2008年9月に旧ブログから引っ越しました。バックアップをご覧ください。

ゲストログインがうまくできないので、コメントを承認制にしました。スパムでないことを確認の上、公開します。判断はあくまで「風見鶏」の主観で行いますので、文句は受け付けません。(笑)承認が遅れることもままあると思いますが、あしからず・・・

なお、ここに書いていることは、あくまで個人的な思いであり、いかなる組織をも代表、代弁するものではありませんし、無関係ですので念のため。

2009年12月アーカイブ

そういえば、今日で、10年。2000年に前職から今の会社の系列に転職してから、もう早いもので、まる10年が過ぎました。

この10年の入り口は、自分にとって大きな変化でしたが、その直後にあっても今の自分は想像できませんでした。10年のあいだに様々なことがあり、またしても人生をやりなおしたほどの経験をし、精神的にも(もちろん物理的にも・・・orz)一回り以上大きくなれた気がします。いまだ背伸び、大風呂敷、それに伴う失敗や悪戦苦闘は続いていますが、そのぶんどんどん自分が大きくなっていくようで楽しい気がします。そんな自分に期待してくれる人たちがいてくれるのも大きな励ましです。

そういう意味で、この10年目の1年は、ちょっと本来の自分を取り戻すための1年であったような気もします。昨年末に、うつになって半年間の休業を経験し、その間、本来、自分とは何なのかを、あれこれと考えてきました。結果、自分はとにかく走り続けていくしかないのだと改めて感じたわけで、そうして自分というものを広げていく快感をこれからの10年も感じ続けていければと思っています。

突っ走れば波風も立ちます。でも、それを恐れていてはなにもできないし、それを支持してくれる人たちや、一緒に走ってくれる人たちがいる限りは、走り続けよう、今の自分では正面から崩せない壁も、ちょっとコースを替えて裏側から蹴飛ばせば、意外と簡単に崩せたりするので、多少、まわりみちでも立ち止まるよりは走り続けることを選ぼうと思っています。

次の10年、そしてその最初の1年をどうするかは、改めて書くつもりですが、この10年そして今年も公私ともに私にお付き合いいただいた皆様、一緒に走ってくれた皆様、振り回された皆様すべてに感謝をこめてご挨拶を申し上げます。おそらくは来年もその先も、立ち止まっている皆様には、衝撃波を食らわせる煩い存在になると思いますが、私はそういうやつですのでご容赦を。一緒に走ってくれる皆様、急な方向転換や急加速はご容赦くださいませ。どれも、少なくとも仕事の上では必要なことだと確信しての上の犯行でありますから。スピード勝負で行きましょう。

 

ということで、今年の、この10年の総括まで。

さて、ここまでは雲の階層(レイヤ)の話だったが、今度は雲の大きさ、広がりを見てみよう。言うまでもなく、もっとも広がった雲は、GoogleやAmazonに代表される、いわゆる「パブリッククラウド」である。このカテゴリのサービスは、多くのユーザが必要とする一般的な機能、サービスもしくはインフラを必要とするすべてのユーザに提供する。このレベルでのサービスには、言うまでもなく高いスケーラビリティが必要になる。なぜなら、多くのユーザ、しかも、規模も使う頻度も違うユーザ(企業)をストレスなく収容しなければならないからだ。そのためには、ある程度の規模のインフラが必要になる。もちろん、スモールスタートはあるだろうが、ユーザに意識されない形で随時、増強が可能なインフラでなければならない。こうした、幅広い企業やコンシューマを相手にするサービスは、価格の面でも要求がきつい。はっきり言って、安くなければ誰も使わないからだ。だから、ある程度の初期投資をして、規模を稼ぎ、さらにはユーザの負荷をうまく平準化してインフラを最小化することが必要になる。そういう意味で、最も敷居の高いサービスだといえるのかもしれない。大手優位の構造が最もはっきりするタイプのカテゴリだろう。

 もう少し、絞り込んで、特定の業種やビジネス上の企業集団などのレベルで考えると、共通する業務はより多くなる。たとえば、EDIや、部品の取引市場、行政サービスなどを考えてみるとわかりやすいだろう。このレベルで共通な業務をサービス化してクラウドで動かそうというのが、いわゆる「コミュニティクラウド」だ。これは、どちらかといえば、システムの標準化とインフラの共用によるコストダウンを狙うものと考えられるだろう。もちろん、対象となるコミュニティの規模や広がりによって必要とされるインフラの規模はかわる。たとえば、グローバルな取引システムなどは、時差による負荷の平準化も可能だが、日本国内のようなタイムゾーンがひとつの地域内のサービスでは、その効果は薄い。むしろ、共同システム運用的な要素が強くなる。クラウドという意味合いを強調するのであれば、たとえば、複数の会社や自治体のような機関が、それぞれ得意な部分のシステムを運用し、相互に乗り入れたり、バックアップしたりするようなモデルがいいのではないかと私は考える。クラウドというなら一か所にまとめる必要はないだろうし、それによる地理的な意味でのリスクも大きくなるからだ。たとえば、きちんとしたIaaS/PaaS事業者がそういう大規模でスケーラブルな分散環境を用意してくれるのであれば、その上にまるごとのせてしまう手もあるだろう。いずれにせよ、クラウドコンピューティングというものが、ネットワーク上に分散された環境をうまく利用して効率のいいシステムを作るための技術だとすれば、そのような形で作るのでなければ、それは単なる共同計算センターにすぎなくなってしまう。ここがまた、「まやかしクラウド」の入りこむ隙間だろうと思う。

さて、では、ひとつの企業や団体、機関のレベルでの、「プライベートな」システムのクラウド化は可能なのだろうか。結論から言えば、可能だと私は思う。但し、それは、本来の意味でのクラウド基盤を提供できるIaaS/PaaS事業者の存在なくしては困難だ。自社でこうしたスケーラブルなクラウド基盤を構築できる会社は、世界中で見てもそれほど多くはないだろう。通常の、特に自国内中心の商売をしている企業などのクラウド化は、上のレイヤで考える必要があると私は思っている。このようなクラウド化は「アウトソーシング」の一種ではあるが、これまで、一般のデータセンタ事業者に対して行われてきたものとは根本的に考え方が異なる。最も異なる点は、コストに対する考え方だ。アウトソーシング自体は、企業が本来自分たちの本業ではないITリソースを保有せず、外部のリソースを利用して、こうした本業外のリソースを保有することのコストやリスクを下げようというものだ。ある程度規模のある事業者にシステムの運用管理やユーザサポートを委託することで、こうした目的はある程度達成できる。特に、人的リソースを保有しなくて済むことで、管理コストを含めた人件費とそれにかかわるリスク、たとえば、自社技術者のスキルへの依存やIT技術の変化による人材の再教育、入れ替えといったリスクを軽減できることは大きい。しかし、それ以上のメリットをどれくらい享受できているのだろうか。

多くの場合、システムのソフトウエア、ハードウエアはユーザ側の資産である。従って、この部分の調達費用はユーザ側の負担だ。また、運用やサポートのアウトソースに関する費用も決してバカにならない。意外と高くつくのが、必要なSLA(サービスレベル保持契約)の締結だ。SLAを結ぶことは、事業者にとってはリスクのを負うことにほかならず、当然、保険の意味で高い料金を要求することになる。実際、それは、自社要員で運用するよりも、高くつくことが少なくない。それが認められていたのは、それでもユーザは人的なものを含めたリスクを負いたくないからだと私は思う。ただ、事業者にしてても、ユーザごとにシステムが異なる以上、そうせざるを得ないだろうと私は思う。共通化できるのはファシリティとネットワーク基盤くらいである。ここを一歩打開しようとするのが、仮想化基盤を使ったハードウエアの共有化だ。平たくいえば、個々のユーザが持っているシステム性能の余裕部分を共有化することで、この部分のコストを下げようという考え方である。注意が必要なのは、仮想化でハードウエアを共有したとしても、SLAがある以上は、個々のユーザの処理性能は保証しなければならない点だ。したがって、事業者としては、それをカバーできるだけの規模のシステムは最低限必要になる。

ここは本来、事業者側の腕の見せ所だ。たとえば、個々のユーザの利用統計をもとに、同じ仮想基盤にのせるユーザのピークが重ならないようにするとか、異なる性格のシステムをうまく混在させるとかして、負荷をできるだけ平準化し、必要なハードウエアリソースとその運用、保有コストを減らすといったことだ。このために、システムを動的に仮想環境上で管理できるような基盤も必要になる。ただ、先にも述べたように、これは一事業者の範囲ではなかなか容易ではない。しかし、ここをクリアできなければコストダウンはできず、ユーザのコストダウン要求と自社の利益とのはざまで板挟みになることになる。何度も言うが、ユーザにとってのクラウドとは、コストダウン以外の何物でもない。つまり、クラウド化は事業者に対しても劇的なコストダウン努力を求めることになるのだ。

こうした前提で、個々の企業が、事業者のインフラを安価に借り受けて自社システムを動かすことができれば、はじめてそれは「プライベートクラウド」と呼ぶことができるのだろうと私は思っている。

 

(続く)

 

 

シーズン始動・・

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昨日から本格的に滑り始め・・・・とはいえ、朝一パウダー狙いのみなので、昼前にはおしまいという、いつもの贅沢なスキー三昧。昨日、朝一番のセンターフォー、まだまだトップシーズンに比べると、気合が入ってるやつは少ないめ。

昨日は羊蹄山も綺麗。まぁ、雪はちょっと重くて・・・、ゲートもまだ開かず。

んでもって、暇つぶしの撮影会。いい感じの2枚がこちら。花園第3リフト沿いコース脇のパウダーゾーン

適当に滑って、昼飯食って、昼寝して、温泉に入ってたら、あっというまに陽が暮れて・・・。夕食は、ちょっとかわったお店。エスニック風の料理、お店はパオみたいな感じのテント張り。

空には、オリオン。星空・・・きれいだけど、どちらといえば降ってくれたほうが幸せなのだけど。

今日は、パウダーはなし。午後から天気が崩れ始めて、明日の朝はなんとなく期待できそうな予感・・・。今は結構降っております。

今日の夕食は、カレーなべほか・・・。写真のお皿には、大きなホッケがいたのだけど、ここまで綺麗に食べられてしまいました。

夕食帰りの三々五々。そして、コテージ前の木立(15秒露出)

なんとなく、降りそうで降らない・・・。明日は期待したいんだけどね。

北の国滞在中・・・。そういや今日は、そういう日だったな、ってことで雰囲気だけ。

夕食は、ちょっと、こ洒落たお店で。まぁ、雰囲気だけ・・・ですが。料理は結構いいです。このお店。

まぁ、ホワイトクリスマスだしね。明日も雪はよさそうだ。今日も朝からパウダーを満喫。シーズン初日から、ちょっと飛ばしすぎた感じだけど、調子はいい。雪が降るのはいいけど、風が吹かなきゃいいけど。リフト止まっても困るしね。

食事してる間に、風もおさまってきたし、明日はいい雪を期待しよう。ニセコひらふ、今シーズン初日も終了。今日は早めに寝よう。

さて、クラウドの代名詞といえば、SaaSつまり、Software as a Service なのだろうと私は思っている。しかし、SaaSがどのようなものか、という理解はかなりブレている。これがクラウドを最も見えにくくしている元凶なのではないだろうか。そもそも、「クラウド」なんて言葉がはやるずっと以前から類似のものは別の名前で存在していた。いわゆるASP(Application Service Provider)である。多くの人は、いまだに、この区別がついていない。SaaSをうたい文句にしている(その多くは、ついこの前まで自分たちをASPと称していた)サービス事業者の多くもしかりだ。

1章で、これまでの情報システムとそれをとりまく環境の流れを書いたのだが、それにあてはめて考えてみよう。ASPはお手軽な形で、必要な情報システムを手に入れられるという意味では、SaaSと同じではある。しかし、ASPは多くの場合、自分のサービスだけの世界で閉じている。つまり、それだけで最低限必要なすべてを提供するかわりに、それ以上のもの、たとえば機能やスケーラビリティを望んでも、それは事業者をのりかえるしか方法がない。しかも事業者を乗り換えれば使い勝手は大きく変わってしまい、利用者を戸惑わせることになってしまう。

さて、そこで質問だ。どのようにすれば、スケーラブルでなおかつ、適宜必要な機能を低コストで追加していける情報システムを作っていくことができるのだろうか。

この答えはすでに出ていると思う。それは、SaaSをSOA化されたバックエンドサービスとして扱うことだ。SOAという視点から見たSaaSは、ユーザIT部門を、縛り付けられていたパッケージから解放するものだ。特定のパッケージを使ったり、自社で開発するのだったら、SOAのありがたみはない。部品として使えるサービスが選べてはじめてSOAの意味があるのだとすれば、SaaSこそが、それを可能にするものだと私は思っている。つまり、逆の言い方をするなら、そういう使い方ができないSaaSはSaaSではなく、単なるASPである。もちろん、独自のUIは、それのみを使いたいユーザにとっては必要だ。しかし、より高度なことを考えるユーザにより一般的な機能をサービス(API)として提供できることが、SaaSの条件だろうと思っている。

 

(続く)

スキーシーズン到来

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病み上がり(てか、まだ治療中なんですけど・・・)をいいことに、極悪休暇を申請。今年はもう仕事を納めて(・・といいながらすこし宿題もあるのだけど、)北の国までやってきました。

羽田11時30分のフライトで千歳着が1時過ぎ。関東地方はお天気もよくて、こんな地上の様子も。某つくば方面の、知る人ぞ知る施設であります。

北海道あたりまで来ると、薄雲がかかっているものの、今日は比較的おだやかなお天気。いつもになく地面が白いのが嬉しいかも。ニセコひらふ先着組の情報ではまずまずのコンディション。楽しみです。まぁ、膝を壊さない程度に楽しみましょう。

千歳空港は、異様な混雑。スキー旅行の団体さん、しかもカップル風が多いのがちょっと気になるけど。こりゃ、ここ2,3日はゲレンデも込みそうな感じですねぇ。

とりあえず、昼飯+麦芽系炭酸入りアルコール飲料をとって、現在、空港内のラウンジで時間をつぶしてます。バスまでまだ1時間ちかく。ちょっと暇かも。

さて、今回のスキーは1週間ほどの予定。29日には帰って、年末は帰省の予定。ゲレンデの様子はまたお伝えします。

しかし、北の国だけあって、午後2時の太陽がなんだかすごく低いです。

 

IaaSが、インターネットにおけるISPだとすれば、PaaS(Platform as a Service)は、さながらクラウド基盤の上に構築されたレンタルサーバやホスティングサービスだろうか。いささか、この定義はIaaSともかぶるが、大規模分散と仮想化環境の提供がIaaSだとすれば、PaaSは、その上に作られた個別のホスト環境や、そのうえで、様々なサービス構築のためのツールを提供するようなサービスだと言える。

PaaSのレベルは様々だ。有名なところで言えば、Amazonは、個々の利用者に仮想マシンつまりOSを載せる環境を提供できる。そのぶん、スケーラビリティはある程度制限をうけるものの、利用者の自由度は高く、様々なソフトウエアをその上で動作させることができる。一方で、Google が提供する Google Appエンジンは、Webサーバとそのうえでアプリケーションを構築するための Python による開発環境と様々な Googleが提供する機能やアプリケーションへのAPIを提供している。できることは制限されるが、この環境自体がGoogleの大規模分散環境にのっかっていることから、アプリケーションを変更することなく、小規模から超大規模のサービスまで柔軟に対応できるのが特徴だ。つまり、自由度とスケーラビリティの間には逆相関の関係がある。利用者は、これをうまく使い分ける必要がある。たとえば、自社やそのグループ、その他中小規模のコミュニティレベルに独自仕様のサービスを提供するような、いわゆるプライベート、コミュニティクラウドサービスの構築は、自由度の高い環境を、一方で、コンシューマのような大量の利用者を相手にするSaaSなどのパブリッククラウドサービスを提供するつもりなら、スケーラビリティを選ぶことで、必然的にどちらの形態を選べばよいかが決まる。もちろん、料金は定額から従量制、その組み合わせまで様々だから、これも考慮に入れてサービスを選択する必要がある。

PaaSは、そのレベルによって差異はあるものの、ユーザが自分たちの仕様で自由にアプリケーションを構築でき、なおかつ自分たちが構築したレイヤより下の運用は意識する必要がないため、運用コストの大幅な低減に役立つ。一般に、情報システムを構築、導入する際のコストインパクトは、基本的に減価償却対象である初期投資と、毎年発生する運用コストにわかれ、前者はB/Sつまり貸借対照表上の資産として、後者はP/L(損益計算書)上のコストとして取り扱われる。資産は複数年度で償却され、単年度予算(P/L)へのインパクトは相対的に低いのに対し、運用経費はそのまま単年度のP/Lにインパクトをあたえる。企業のIT部門が運用コストをより削減しようとするのは、そういう理由からだ。特に昨今のような経済状況下で、単年度のP/Lが重視されるような時はなおさらである。これが、大手企業をしてまで、クラウド化に走らせる理由だとしたら、ある意味で、一般企業が利用するのは、基本的には、このPaaSから上のレイヤでなくてはならない。私は、このあたりの整理をあえて、あいまいにする「まやかし」が今の「自称」クラウド事業者の一部にあるのではないかと危惧している。

(続く)

とりあえず、朝5時半にホテルを出て、6時頃にSFOのターミナル1に到着。予想通りの激混み。悪いことに、マイレージのプラチナカードが行方不明・・・。しかたがないので、長い列に並んでいたら、脇にセルフチェックインのキオスクを発見。持ち込み荷物だけならOKとのことだったので、チェックインしようとしたら、エラーになった。どうやら国際線乗り継ぎの場合はうまくいかないみたい。それを見ていた係のにーちゃんが、手続きをしてくれたので、ながい行列をショートカットできた。でも、今度はセキュリティの前に長蛇5匹ほどの列ができてる。しかたないので、並んでいたら7:00の便に乗るやつはいるかと係が叫んでいる。手をあげると、ここもショートカットさせてくれた。ラッキー。どうにか、7:00の便にのってサンフランシスコをあとにした。

ちょうど日の出の時間帯。なかなか綺麗な景色を見ることができた。電子機器使用のOKが早めにでたので、こんな景色も撮影できたのはラッキー。サンフランシスコダウンタウンとベイブリッジ、ゴールデンゲートブリッジが一望できる。なかなかいい景色。ふと見ると雲に虹。これもとりあえず撮影。

北に行くにしたがって、山のてっぺんに雪が・・・・。雪山が恋しい季節。日本に帰ったら、来週半ばから極悪連休をとって、毎年のようにニセコにこもるつもりだ。

現在、ポートランドのラウンジで成田行きの搭乗待ち中。搭乗まであと1時間あまり。すこし寝てようかな。

 

P.S:順調なフライトで1時間も早く成田着。昨夜はひと風呂浴びてゆっくり寝て、時差ぼけもほとんど感じない。さて、まずは、週末恒例の大掃除、と洗濯から・・・・。日常回帰。

この時期にサンフランシスコは久しぶり。もう冬場の雨季の走りで、お天気はいまいち。来週になるともう、こっちの連中は仕事する気をなくしてしまうので、仕事の話は今週中。ということで、とりあえず火曜からこちらに来てます。

初日はちょっと時間があったので、ダウンタウンで昼食がてら、ちょっと街中を歩いてみたら、やっぱりもうクリスマスムードでありました。

久々に来た同僚とケーブルカーに乗って、ちょっと観光モード。やっぱ、これがサンフランシスコの雰囲気かな。とりあえずピア39の駐車場に車を置いて、フィッシャーマンズワーフでクラムチャウダーをすすって・・・・という定番コース。

午後にサンタクララのオフィスに行くルートは1号線で太平洋岸をハーフムーン・ベイの先まで南下して、R84の林間ワインディングロードをRedwood cityまで走ってR280-85-237-101経由。

サンタクララのオフィスもクリスマスムードで・・・・。その夜はとりあえずいつもの肉食コース。

今回は、ちょっとこちらの某会社との協業ビジネスの打ち合わせ。中身は内緒だけど、まぁ、結構面白そうな仕事になりそうな感じであります。来年が楽しみ。

某社のオフィス界隈はまだ紅葉がまっさかり。今日は天気も回復して気持ちのいい1日でありました。とりあえず仕事は終わって、空港近くのホテルで同僚と一杯やったところ。明日は、直行便が取れず、7:00の便でポートランドまで移動、そこから成田に飛ぶ予定。この時期、さすがに飛行機は混んでるみたいで・・・・。とりあえず、今年3回目の出張、プライベートも含めると5回目の米国本土、ハワイ、グアムをあわせたら7回目の米国(領)入国は最高記録かも。来年も頻繁に来ることになりそうな感じであります。

さて、今日は早々に寝て、明日は早起きしなくては・・・・・

ただ、寡占化がすべて悪というわけではない。IaaSというレベルで、利用者側の視点から見れば、これはクラウドそのものではなく、あくまでシステムを「クラウド化」するための基盤である。それは安価で信頼性が高いものである必要がある。1社で独占されるのは困るが、ある程度体力のある大手が競争している状況が生まれれば、これは利用する企業にとってはいい話だ。この基盤は、企業の情報システムの基盤となるだけではない。後で述べる上のレイヤのサービス事業者のサービス基盤としても利用できるからだ。サービス基盤として考えた時のIaaSも、やはり価格とスケーラビリティが最重要課題である。サービス事業者はこの基盤を賃借して、その上に「付加価値」としての独自サービスを組み立てて売ることになる。このレイヤでもサービス価格は低く抑える必要があるから、基盤の賃借料は安いにこしたことがない。その要求は個々の企業よりも切実だ。つまり、ここでも大手優位の構造が出来上がってしまう。

問題は、現在、乱立気味の中小データセンタの行く末だ。これはかなりお寒いものであると私は思う。大手に対抗できるスケーラビリティを確保し、価格を下げるためには、1社の努力だけではもう無理だ。彼らが選ぶべき道は、仮想化基盤の標準化と、同規模のデータセンタ事業者による相互補完のためのアライアンスしかないと思う。回線だけは借りなければいけないのがネックだが、細い(つまり安い)回線で効率よく通信できる技術もあるから、コストはある程度おさえられるはずだ。これを阻んでいるのが、仮想化環境の相互接続性である。1種類のハイバーバイザですべてそろえるのが最も簡単だが、理想的なことを言えば、仮想マシンとハイバーバイザ、そしてハイパーバイザ間のインターフェイスが標準化されるとより柔軟な構成が可能になるだろう。

ともあれ、これから投資をしてこのレイヤに参入、というのは現実的ではない。あくまで、既にどっぷりひたって、途方に暮れている中小事業者の今後の話である。

では、これから参入する事業者はどうすればいいのか。せっかくIaaS事業者が作ってくれた安価でスケーラブルな基盤があるのだから、これを利用しない手はない。クラウドにおけるIaaS事業者は、インターネットビジネスにおけるISPと同じ存在になるだろうと思う。ISPも最初は乱立したものの、最終的に淘汰が進んだ。むしろビジネスはこうした大手ISPが作った通信網の上に花開いている。これと同じ状況がクラウドでも起きると私は思っている。

 

(続く)

このレイヤを「クラウド」と位置づけて、一生懸命商売をしようとしているのが、サーバメーカーとか、仮想化ハイパーバイザやOSベンダ、そしてそれにのせられたデータセンタ事業者である。ちょっと皮肉っぽい言い方をするが、これは雲の断片を売るようなものだ。先にも書いたが、クラウドの神髄はスケーラビリティにある。たった一社で提供できるようなものを「クラウド」と私は言いたくないのだ。もちろん、日本でも例外的にこれができそうな会社が2~3社はあるのだが、やがては日本でのクラウドは、この2~3社の寡占状態になりかねないなと危惧している。

クラウド基盤の提供、つまり今風に言えば、IaaS (Infrastructure as a Service)は、たしかに事業として面白いが、ユーザがこれに何を期待するかはきちんと見ておく必要があろう。それは、少なくとも今のところはコストダウンだ。しかも、かなり劇的なコストダウンである。しかし、そうしたコストダウンできる基盤を用意しようと思えばスケールメリットを稼ぐしかない。Googleなどを見てもわかるように、そのための投資は莫大だ。その結果として低価格でも損益分岐点を超えて利益が出るだけのユーザを収容できる。日本のデータセンタ事業者は安全性を強調するが、Googleのセンターに勝てるセキュリティを確保できると契約に明記できる事業者は皆無に等しいだろう。そもそもセキュリティとはそういうものである。この話は後半でするつもりだが、クラウドのセキュリティを語る場合には、いくつかの異なる視点が必要だ。ファシリティや基盤のセキュリティはその切り口のひとつでしかないのだ。

話を基盤に戻すが、結局は、処理能力をいかに効率よく配分し、負荷を平準化できるか、ということがクラウドとして見た時の重要な点である。だから、仮想化と大規模な分散環境、そしてそれを支える高速なネットワークが必要なのである。これを今、すべて自社で保有している企業は非常に少ない。持たざるものは借りてくるか自前で作るしかない。いずれにせよ、相当な費用や投資が必要であり、なかなか安い値段では売れない。ならば、と「付加価値」を強調してみても、結局、今の経済状況下では、ユーザに見向きもされない結果となってしまう。少なくとも今は、コスト削減が至上課題だからだ。大手は、この時とばかりに、価格競争に入るだろうから、もし、近い将来、景気がよくなったとしても、その頃にはユーザの多くは大手に囲い込まれてしまっているはずだ。

さて、そうならないようにどうしなければいけないのだろうか。それは、「持たざる」事業者がその命運をかけて考えるべき事柄である。

(続く)

まだまだ今年の仕事が終わらずバタバタしている中での週末。月曜日までの宿題もいくつかあるんだけど・・・。今日は、メタボ治療その他の定期診察があるので、いつもとほぼ同じ時間に起床、掃除、洗濯をさっとすませて、車で都内へ。今朝はまだそれほど寒くはなかったけど、富士山は真っ白だ。昨日の雨で雪が融けたと騒いでいるスキー仲間も多いけれど、来週は寒くなりそう。

とりあえず、病院に行き、ついでに来週の予定だったメンタル面の診察も受けてきた。来週は火曜から国外追放されて日曜まで帰国できないので。いつもの採血検査の結果は、いわゆる年末モードを受けてか、全体的に悪化。たしかに、このところ飲み食いがけっこう・・・・。体は正直だと思う。

それはそうと、ここしばらく、会社や街でマスク姿が急に増えたような気がする。インフルエンザに気を取られている間に風邪がはやってるのかなと思っていたら、昨日の夜からちょっと喉が痛み出した。まだそんなにひどくはないし、熱もないのだけど、ちょっと頭痛と鼻水も・・・。こりゃ、風邪かな。来週は出張なんで、悪化させると悲惨。とりあえず、というわけではないけれど、家にかえって、昼飯を食って、午後、ちょっと昼寝してたら、寝冷えしてしまった。やばい、また風邪がちょっと悪化したかも・・・。今夜は薬を飲んで暖かくして寝よう。

というわけで、日も暮れて、洗濯物をとりこんで、一息ついたところ。富士山と夕焼けと雲の写真を1枚とって、さて、晩飯前にちょっと仕事でもしようか・・・・。しかし、世間はすっかり年末モードだというのに、そんな気分にはまだまだなれない・・・、あ、年賀状もそろそろ用意しないと・・・・。

とりあえず来週の出張が終わるまでは、ちょっと年末気分にはなれないだろうな。

現在言われている仮想化技術の原型はもうずいぶん前に作られている。メインフレーム時代、IBMのMVSというOSは、今で言うハイパーバイザとして機能し、そのうえで複数のOS環境を作ることができた。PCの世界ではVMWAREが、PCのOS上で別の仮想OS環境を起動できる仕組みを、これも比較的早い時期から実用化し、私なども検証用に複数の環境が必要な時に重宝したものである。

仮想化、ということがサーバ側で本格的に言われだしたのは、ここ数年だ。追い風になった要因は様々だが、たとえば、不景気によるコストダウン圧力からTCO削減を目的に始まった、サーバ統合、これは電力消費の削減と平準化という意味ではエコでもあり、それもまた追い風になっている。JSOXなどを皮切りに日本では、BCPの一環として、情報システムの災害対策が一気に進んだが、バックアップシステムを新たに作るにあたって、既存システムを仮想マシン化し、仮想化環境の上で動作させることが多くなっている。

こうしたニーズを受けて、仮想化プラットホームも進化していく。もともと1台のサーバリソースの有効利用だった仮想化は、複数サーバ、しかも遠隔地にあるサーバ間での仕事の受け渡しが、限定的ながらも可能になった。あと少し進化すれば、複数のデータセンタと高速な通信回線を基盤として、データセンタグリッドを作る条件が整う。これができれば、クラウドコンピューティングのスケーラビリティは格段に向上する。しかし、経済的な問題はついてまわる。1社で大規模な複数のデータセンタを配置し、高速な回線を占有できる会社は限られているから、ここでも放置すれば寡占化が進んでしまう。独立系のデータセンタ事業者は、そろそろこれに対抗する策を真剣に考えないと生き残りが難しくなってくるかもしれないと思う。Googleの例を見れば明らかなように、大規模化と負荷の平準化によるハードウエアリソースの削減は低価格化を促すからだ。タイムゾーンが重なる日本でも、多くの異なる業種のユーザを共存させることで、ある程度の平準化は可能だろう。したがって、そのようなことができる一定規模以上のファシリティを用意できない事業者は価格競争に勝てない可能性が高いのである。

 

(続く)

なんとなくネガティブな響きがするが、決してクラウド全般が儲からない、といっているわけではない。現に、大手はかなり利益を上げる商売をしている。問題は、これのまともに太刀打ちしても儲けにならないという点だ。では、どうやって利益を享受していくのか、このあたりは今のところビジネスモデルとからんで、私の会社の企業秘密でもあるから、書くのは最後にしておくことにしよう。

ここで、世の中でクラウドと呼ばれているものを、ちょっと整理してみる。

まずは、漠としたクラウドコンピューティングの広義の意味だ。「クラウド」つまりは、ネットワークの模式図に書かれる雲のマーク。広域通信網、多くの場合はインターネットを意味する絵柄である。つまりは、インターネットを使ってコンピュータリソースを共有し、効率よく、低価格の情報処理を行おう、ということだ。

たとえば、インターネットを使ったグリッドコンピューティング、皆さんご存じの Seti@homeに代表される、大規模な計算を分割してネット上に分散して、大量のPCを使って高速に計算しようという、いわばクラウドスパコンなども、クラウドコンピューティングだと言えるだろう。また、悪名ばかりが広まってしまったP2P技術は、こうしたグリッドの基盤になる技術であると同時にデータ共有、分散処理の基盤にもなりうる。実際、最近のPCグリッドはP2P技術の基盤の上に作られているものも多い。私は、これらの技術が本来のクラウドコンピューティングの最下層の基盤だろうと思っている。今のところ、これらはまだ不完全だが、よりリアルタイムに最適化された分散処理が可能になれば、クラウドの可能性は格段に広がるはずだ。

しかし、こうして多数のコンピュータリソースを統合することが出来ても、大量のデータ解析やシミュレーションのような用途以外では、そこまで大規模な計算能力を必要としない。そこで、リソースをうまく配分して、個々の処理、またはOS環境に振り分けるための処理レイヤ、つまり仮想化ハイパーバイザが必要になる。今のところ、世間ではこのレイヤがクラウドの最下層だと認識されているが、本来ならばこの下に分散リソースの管理レイヤが存在するはずだ。現在の仮想化ハイパーバイザはきわめて限定的な形で、このレイヤを一部サポートしているが、完全ではない。

ともあれ、なぜ、クラウドに仮想化が必須なのか、それは、そのうえで動く環境に意識されない形で、各種のリソースを制御し、配分する必要があるからである。

(続く)

いつの間にか、会社のあるトリトンスクエア内のクリスマスツリーが大増殖している。いやはや、こちらはまだまだ年末ムードには遠い気分なのに・・・・。でもまぁ、もうそんな季節になっているわけで、そろそろ今年の締めも考えておかないと・・・。

今日は、久しぶりにちょっとあたりを歩いてみた。気持ちのいい天気なのだけど、風が冷たくて、ちょっと寒い。運河脇の歩道の花もこうして見ると暖かく見えるけど、実際は日陰にいると、かなり冷える気温だ。

ちょっと歩いて、ふと見たら、橋の向こうのビルのあたりに、なにやら、にょっきりと顔を出している。もう、地上でも見えるようになったスカイツリー。今年中に250mほどの高さになるというけど、会社の上の階から見たら、いつの間にかもう周辺で一番高い建物になっている。完成したときの姿を想像するとなかなかすばらしい感じがする。21世紀らしいモニュメントになるだろう。

空が青くて、色づいた木々と、水のコントラストが気持ちいい。でも、やっぱり寒い。散歩はなるべく日向を歩くことにする。

陽だまりの歩道は気持ちがいい。空気が澄んでいるので、太陽がまぶしいのだけど、ちょうどいい暖かさだ。昼間だというのに太陽はビルすれすれ・・・。冬至も近いこの時期、太陽の高さは夏場の半分くらいしかないように感じる。

ビルの隙間から顔を出した太陽。このあたりが陽だまりの限界。空が青い。

午後は、なんだかんだであっという間に過ぎて、日が暮れて・・・・。会社を出て、下のフードコートで夕食をとっての帰りがけ、さすがにこの時間になるとコートを着ていても風が吹くと寒い。運河沿いの夜景を撮影したら木星がちゃんと写っている。(下の画像の左の並木の横あたり、縮小版では見えないけど、クリックして拡大すれば見えます。)手持ち撮影なのに・・・。このP社製カメラの手ぶれ補正はたいしたもんだ。

大江戸線を汐留で降りて、新橋からJRに乗るのだけど、日テレ横には、例年のごとくのイルミネーションも登場。ちょっと足を止めて鑑賞。

さて、今週もスタート。来週はまたちょっと高飛びしないといけないので、やることが多い。今日は早めに寝て、明日は少し早起きしよう。今朝はぎりぎりになって、出がけにうっかり加湿器を蹴飛ばして周囲を水浸しにするというアクシデント。おかげで遅刻してしまったので・・・。

しかし、今夜は乾燥がひどい。加湿器を3時間ほどかけっぱなしだが、湿度は未だ40%を切ってる。ノドをやられないように気をつけないと・・・。

2.混沌とした「雲」

 

「クラウドコンピューティング」が言われて久しいが、最初は比較的形がはっきりしていた「雲」は、どんどん広がって、いまや空一面を覆い尽くして、形も、その先にあるものもよく見えない。ベンダ側は都合よく整理をしているのだが、ユーザから見ると、それがどのように自分の役に立つのかはわかっても、それを自分たちの情報システムにどう位置づけ、どう使っていくのかという点では、まだ整理がついていないのだろうと思う。

 

「クラウド」=「コスト削減」というのが、ユーザ側の入り口だ。コストを下げるのだから、多少は我慢も必要だと思っている・・・、というよりも、経営からの「劇的な」コストダウン要求の前では、そう思わざるを得ないのが実情だと思う。一方、ベンダはいわゆる「パブリッククラウド」だけでは儲からない。大手クラウドベンダのサービスを売るだけでは、ほとんど利益にならない。薄利多売の世界だ。だから、なんとか「付加価値」の名のもとに独自のサービスや仕組みを売ろうとする。しかし、ベースとなる大手クラウドサービスの値段があまりに低いので、それ以上の価格をつけると、それだけでユーザは拒否反応をおこしてしまう。クラウドブームに乗って商売を広げたいが、ユーザにとってのクラウドは「コストダウン」が第一義だから、どう考えても、これまでと同じ投資は得られないし、投資の大半は大手のクラウドサービス事業者に持っていかれてしまう。つまり、リセールモデルは成り立たない。付加価値も安く上げないと売る理由にはならない。つまり、付加価値部分もクラウドサービスとして提供せざるを得ないのだ。

しかし、大手のグローバルなサービス事業者が年間数千億の投資をしているのに比べ、少なくとも日本での事業者が投資できる額は限られている。地理的要因もある。世界を相手にするサービスには大きな利点がある。システムの稼働率を利用者のタイムゾーンに合わせて最適化できるのだ。ひとつのタイムゾーンしかない日本では、利用者のピーク時間帯は集中する傾向にある。毎朝の通勤電車のような状態が、システムにも発生するわけだ。たとば、始業時間直後や終業直前のようなピークに行われる仕事には急ぎのものも多いから、ここでシステムのレスポンスが落ちてしまってはユーザから不満が出る。だから、この負荷にある程度耐えられる規模のシステムを用意するのだが、そうするとピーク以外の時間帯はその半分以下の規模のシステムで十分なほどの負荷でシステムの大半を遊ばせるしかないのだ。これが、設備投資が過大になってしまう理由だ。ある意味、サーバメーカーの思うツボである。故に、価格もあまり下げられない。一方、世界を相手にする場合、ピーク時間帯はかなり分散され、負荷が平準化されるので、相対的なサーバ台数は少なくて済む。うまくやれば日本のピークをさばける程度の能力で世界を相手にできるだろう。そもそも、そういうハンデが、大手事業者と新参者の間にはあるのだ。つまり、張り合うのは無謀であり、新規参入する事業者は、大手を補完するようなサービスで、「コバンザメ」商法に徹するしかなくなるのである。

(続く)

本日、サーバメンテナンスのため、このブログとWebサーバ、メールなど、kazamidori.jpのサービスが長時間停止することがあります。

 

本日中には復旧する予定(・・・・・なのですが不慮の事態も予想され、約75%の確率で復旧できるかも・・・といったほうが性格かも)です。

 

サーバ環境のお引っ越しもあるので・・・・

 

#無事終了・・・といいたいところだけど、多少課題を積み残しました。また来週あたり・・・かな。

Another Cloud Story (vol.1)

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さむっ・・・。

勢いよくベランダの引き戸を開けたら、冷たい風が吹き込んできた。まだ寝ぼけ半分のちょっとした幸せを一気に吹き飛ばされて、ちょっとばかり不機嫌になってしまった俺。

昨日、帰りがけに上司の部長と大口論したあげく、あっさりと言い負けてしまった悔しさがよみがえってきた。真っ青な冬空とは裏腹に、気持ちはどんよりと曇り空、今にも雨が降りそうなお天気。なんとなく会社に行きたくない気分だ。

とはいえ、仕事も溜まってるし、これ以上遅れたら、またあの部長に嫌みの一つも言われるハメになりかねない。しぶしぶ身支度をして家を出た。気分のせいか、余計に寒さがこたえる。マフラーでもしてくればよかったかな。駅に向かう道すがら、マフラーと毛糸の帽子で重武装した小学生とすれ違いながらそう思った俺。しかし、次にすれ違った女子高生は、やはり定番の生足ときた。この落差はなんだ。それにしても俺が一番中途半端な格好じゃないかなどと、ちょっと自嘲気味につぶやいてみる。

 

俺の名前は林幸彦、幸という字を名前に持つ割には、なんとなく幸薄い人生を送っているように思うのは気のせいだろうか。仕事はしがないプログラマー。聞こえはいいが、コンピュータ様にこき使われる身の上だ。そもそも、こんなはずじゃなかった。子供のころから宇宙にあこがれて、ロケットを作りたいと思い続けてきた。でも、ふとしたきっかけで読んだアインシュタインの伝記で、光の速度が越えられないと知り、大ショックを受ける。ロケットを作ったって、わずか4.3光年先のお隣の星まで行くのに何万年もかかっちゃしかたがない。それでは・・・と、エンジニア志望から物理学者志望に乗り換えたのが小学校6年生のころ。ワープ航法の理論を本当に考えるつもりでいた。子供なりに真剣だった。

その勢いで、そのまま某大学の理学部に進んだものの、なぜか算数が苦手でマクスウエル方程式あたりで挫折気味になり、シュレディンガーの波動方程式あたりで死んだふりをするハメになる。あこがれのアインシュタインも曲がった3次元空間を無理やりイメージしようとしてしまう始末で、このあたりで既に真っ白い灰になってしまった。このあたりから俺の不幸は始まったようだ。卒業研究では実験屋になったものの、中途半端に頭で考えてしまい実験結果の解釈に時間を使いすぎて論文もまともに書けず、おまけに悪友たちとのマージャン、パチンコ三昧がたたって3年間も余計に大学に長居するハメになった。念のために言い添えれば、大学院に入ったというわけではない。

卒業後もしばらくは定職もなく、今で言うフリーターとかみたいなことをして過ごしていたのだが、さすがに将来が不安になって、就職したのが、当時猫の手も借りたいといわれていたソフトウエア会社だ。これがまた不幸のはじまりで、エンジニアという名前の奴隷生活がはじまる。何度かの転職で多少状況は改善したものの、性格的に鉄砲玉な俺は、なにかと会社で波風をたててしまう。昨日もそうだ。とあるシステムの設計方法でユーザとケンカして、帰ってきたら部長に小言を言われて口論になった。まぁ、相手は親会社から出向してきた、痩せても枯れてもT大出の秀才。貧乏私大落第生の俺に勝てる相手じゃないのはわかってはいるのだけど、ついつい喧嘩を売り買いしてしまうこの性格は、やはりサラリーマン向きじゃないんだろう。

で、最近よく考えるわけだ。もし、俺がもう少し算数が得意だったらどうなっただろうか・・とか。プログラマーになったおかげで、昔よりも数段ロジカルに物事を考えられるようになった気がする。もちろんそれがたぶん気がしているだけなんだろうということは、昨日の喧嘩の結果が物語ってはいるのだが。

そういえば、パラレルワールドという考え方がある。昔、アインシュタインの特殊相対性理論を勉強してた時、というと格好がいいけど、さすがにこのあたりまでは算数もたいしたことがないのでついていけたわけだ、あくまで灰と化したのは一般相対論についてなのだが、タイムマシンパラドックスとかいう話を先生がしていたのを思い出した。自分がタイムマシンに乗って過去に戻って、昔の自分や自分の先祖を殺したら、はたして自分の存在はどうなるのか・・・というやつだ。つまり過去を変えた結果、現在もかわり、もしかしたら自分も変わってしまったり存在しなくなってしまうかもしれない。でも、そうなったら過去を変える自分も存在しなくなり未来は元に戻って・・・・という繰り返しループに陥ってしまうわけだ。だから、つまり、因果律が成り立たなくなるが故に時間をさかのぼることは不可能であるという話だったように記憶している。しかし、パラレルワールド、つまり、微妙に異なる世界、過去から現在のすべての時点で可能なあらゆる選択肢を取った結果としての無数の「現在」が存在する、という前提と、時間の流れが、アインシュタインのいうように特定の座標系(この場合、自分を基準にした座標系)に固有の流れを持つのであれば、矛盾なく過去に戻ることができる。過去に戻った自分は、今の自分の時間軸で見れば未来にいるから時間の流れに逆らうことはない。しかも、過去に自分が戻った瞬間に過去はそこで枝分かれし、新しい歴史がはじまる。自分を中心にして考えた時間は常に一定に流れていて、それが周囲の時間と違う流れだということだけだし、自分が存在した時間の流れは依然として存在し続けるというわけだ。だとすれば、この世界と並行したどこかで、物理学者になった自分や、ワープ航法を発見してノーベル賞をもらう自分がいる可能性だってある。すべては、過去の偶然の連鎖の結果として。

そういえば、挫折してしまった量子力学の根幹となる考え方に、存在の不確かさの概念、不確定性原理というものがある。たとえば、運動する粒子の位置と運動量を同時に正確に測ることはできない。位置を特定しようとする行為が運動量に影響したり、運動量を測定しようとする行為が位置に影響をあたえたりするから、というのが直観的な説明だが、実際のところは確率論だ。たとえば、昔習った理科では、電子は原子核のまわりをちょうど地球をまわる月のようにまわっていると教えられた。でも、実際は、その電子が原子核に対してどの位置に今いるのかを正確に測ることはできない。その位置にいるであろう確率の分布としてあらわされるのが、量子力学における電子の形だ。だから、電子は原子核のまわりに雲のように分布することになる。エネルギー準位によって分布の形は変化する。電子の軌道はこの分布の雲によってあらわされるというわけだ。

もちろんこれは電子だけの話ではない。質量が軽い電子は、より確率的に振る舞うように見えるだけで、すべての素粒子はその近傍においては確率的に振る舞う。

シュレディンガーの猫という有名な話がある。ちょっとたとえが残酷なので、たとえば、箱の中のコインにたとえてみる。箱のふたをあけたときに、コインが表を向いているか裏を向いているかは、開けてみるまでわからない。そこには裏表それぞれ50%という確率が存在していて、結果はどちらでもいいということしかいえない。しかし、ふたを開けた瞬間に、裏か表かどちらか一方に定まってしまう。ちょうど粒子の存在はこれと同じで、位置を測定した瞬間にその位置に粒子があり、その他の可能性は消えてしまうのだ。もちろん測定する前は確率が支配する世界だ。

そう考えるとパラレルワールドは時間の流れの確率分布と考えることができそうだ。今の自分を導いた偶然の連鎖がどこかで枝分かれしてできた世界が存在する確率はゼロではない。それを計算することは世界中のコンピュータを総動員してもできないかもしれないが、少なくともゼロではない確率で、違う自分がどこかに存在することになる。これは興味深いことだ。

時間が相対的なもので、座標系、つまりこの場合俺自身に固有のものだとすれば、もしかしたら、これは時間そのものが枝分かれしていることになるのかもしれない。俺という存在を基準にすることは、地球を論じるために銀河系全体を基準にするようなもので、不正確きわまりない話なのだが、わかりやすい。実際は自分の体のあちこちでまた時間が枝分かれしているのだが、そんなものをそもそもイメージしようとすること自体、俺が理論家になれなかった理由だろう。いずれにせよ、今の自分のまわりには、雲のように少しずつ違う自分が分布しているわけだ。自分から見た存在確率は、自分に近い自分ほど高くなるはず。でも、これも相対的で、もし違う自分から見た確率を考えればそれは、違うものになるはずだ。こうした結果を招くならば、結論は、すべての確率は均等で、今の自分はまったくの偶然の産物であるということになってしまうような気もする。

でも、それじゃ、人間努力する価値がないじゃないか、俺はそう考えてみる。人間の意思が時間の枝分かれに影響を与えることがあったりしないのだろうか。これは、またミクロとマクロを混同してしまった結果、考えてしまうことなのだが、実際、時間の流れは、その枝分かれの現場を見ることはできないのだろうか。

時間の流れは、少なくとも五感が感じる3次元世界の向きには流れていない。であれば、五感で感じることはできない。人間にとっての時間はそれ自体が不確かで不明確な知覚でしかない。しかし、だから時間は目に見ることができない、と考えるのは早計ではないだろうか。たとえば、物質、素粒子は点でも、連続な存在でもない。ある程度の広がりを持った分布の集まりだとされている。たとえば、これを次元の厚みという観点でとらえるならば、たとえば、第4の次元は我々の3次元と点で交差するのではなく、ある程度の体積を持った空間で交差するとも考えられる。これも確率分布の雲だ。もし、ある瞬間瞬間で、時間と3次元の物質との相互作用で時間の位置が定まり、結果としてそこで時間が枝分かれすると考えるならば、3次元の作用である人間の意志つまり、脳の神経活動という電磁相互作用がそれに影響して、自分の未来を変化させることだってあるかもしれない。いきなり、超能力が使えるようになったり、天才になったりはできないだろうけど、少しずつ未来をかえていくことはできるのではないだろうか。俺がそう考えた瞬間、目の前が明るくなった気がした。

 

ガツン!、いてぇ~、なんだ・・。我に帰った俺の前にあったのは電柱だった。はぁ・・・どこまで俺って不幸なんだろう。しかし、この妄想癖だけはなんとかしないとな。そのうち車にひかれて・・・・、いやいや、物事はポジティブに考えるべきだ。そうしていれば、時間の枝分かれはいい方向に向いていくはずだ。いやそうに違いない。電柱でまだよかったのだ。これはラッキーだと思うべきなのだ。

 

なんだか、目の前の雲が晴れた気がした。

 

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この物語はフィクションであり、実在の人物、団体に関係があるかどうかは確率的です。また、内容には科学的事実と著者の妄想が混在していますのでご注意ください。(笑)

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