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Another Cloud Story Vol.2

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この美しい景色を見るために、ここまで長い時間を旅してきた。漆黒の空に浮かぶ、光り輝く星の渦。星の雲という呼び名は、いにしえの船乗りが見上げた夜空に見た光る雲のようなものが由来だ。それを、自分は今、目の当たりにしている。

アンドロメダ大星雲、メシエカタログの31番目。M31という番号でも知られているこの星雲。光の速さでも300万年かかる距離を超えて、ここまで来ることができるなどとは、ほんの数年前ならだれも考えなかっただろう。子供のころに読んだSFによく登場するワープ航法、しかし、そもそも空間をひんまげるなどという発想そのものが、今は珍妙に思えてならない。

反対の空には、故郷の銀河が染みのように浮かんでいる。これは、自分が生まれる600万年以上前の姿なのだ。なぜ600万年なのか、光は300万年でここまで到達する。つまり、私の時間で、私が生きている間にここまで来られたということは、その時間はほとんど誤差に等しいから、およそ300万年前でなければいけないはずだと思うだろう。要するに、その差が、つまり私がここにいられる理由なのだ。

300万光年という空間的な距離をほぼ瞬時に越えてきた私。しかし、その旅は同時に300万年という時間を遡る旅でもあったのだ。相対論的同時航法、数年前に見出されたこの理論は、一種のタイムトラベルでもある。アインシュタインは光の速度を越えられない限界と定義し、光で見えるもの以外に「同時性」を定義することはできないと述べた。つまり、ある意味では、今、光で見えているものが自分と同時に存在していると言ってもいいわけだ。簡単に述べれば、新しい理論は空間的には、このアインシュタインの理論と矛盾しない。しかし、そこに時間をさかのぼるという塩味を加えてある。自分の固有時間的には、ほぼ瞬間移動しているのだが、同時に、300万年をさかのぼり、自分が地球を飛び立つときに見たアンドロメダ星雲そのものに到達したのだ。もし、アンドロメダ近くの、私の船を見られる望遠鏡が地球にあったとすれば、今頃は私の船が見えているはずだ。

物理学者は、長年、時間というものを特別扱いしてきた。それは、すべての尺度を決める基本である。相対論ですら、固有時間をとなえながらも、特定の座標系における空間と時間を区別している。近年の物理学では、時間を含めた4次元の外に余剰次元を導入して各種の場の理論を統一する試みが行われてきたが、時間の特別扱いはより鮮明になる。4次元ではなく3+1次元というような表現を物理学者が使い始めたからだ。もちろん+1次元は時間の次元である。

この発想をひっくり返した素人物理学者がいる。素人だからできたことなのかもしれないが、時間も他の次元と同等に扱って理論を再構築したのだ。これによって、空間を移動するように時間も移動できるようになった、というよりは、他者の時間を自分の固有時間下では空間移動に変換できるのだ。つまり、実空間と時間を同時に自由に移動できることになる。但し、この変換は一方通行だ。つまり過去に遡る方向にしか移動できない。また、光で見えている以前に戻ることもできない。自分の固有座標系で、ほぼ光速に近い早さで移動ができれば、少なくともどんな空間的な距離でも自分の固有時間において瞬時に越えることができる。もちろん、時間も同じだけ遡る。計算式上は、移動距離は速度ベクトルの方向に対してマイナスというおかしな値になるが、これは、時間の流れが逆になっている影響にほかならない。見方を変えれば、もともと自分が、300万年前のアンドロメダから地球に移動したとして、その時間を巻き戻していると言ってもいいのだろう。

であれば、これはタイムマシンパラドックスを引き起こすのだろうか。つまり過去に戻った自分が自分の過去に影響を与えてしまい、未来が変わるのだろうか。いや、その心配はない。光速は依然として越えられない壁であり、今ここにいる私が、地球に影響を与えられるのは少なくとも300万年後になる。つまり、私が地球を飛び立った後になってしまうわけだ。

では同じやりかたで、ここからさらに地球の過去に戻ったらどうなるのか。それは時間の枝分かれを引き起こすだろう。そもそも今の理論では、タイムマシンパラドックスは成立しない。たとえ、私が600万年前の地球に戻って、今の自分の生い立ちに影響をあたえることがあったとしても、自分が地球の過去に戻った瞬間に時間が枝分かれするから、自分自身の固有時間における過去とは別の時間の流れに乗ってしまうことになる。

では、今の自分はもう元の世界には戻れなくなってしまうのだろうか。いや、必ずしもそうではない。ここまで来たのと同じ方法で地球の過去に戻り、時間を枝分かれさせるというような馬鹿な真似さえしなければ、いやもっと厳密にいえば、相対論的同時航法で少しでも地球に近づくような動きさえしなければ、ちゃんと元の世界に戻る方法がある。それは単純な光速航行を使うことで実現できる。相対論では、光速に近い速度では、固有時間の流れは遅くなる。自分自身にとっては瞬時だが、実際には300万年かけて、アンドロメダから地球に戻れば、時間は自分が地球を旅立った少し後になる。つまり因果律的には一切矛盾がない。なんと美しい理論だろうか。そして、それを考え出した自分が、今ここにいるのだ。

目的は果たした。さて、あとは元の地球に戻るだけだ。私はもういちど、美しいアンドロメダ銀河の姿を目に焼き付けると、操縦席に座り、出発のコマンドをたたいた。グリーンの表示が点滅し、カウントダウンがはじまる。まばたきするほどの時間で地球に帰れるはずだ。

カウントゼロ、その瞬間に、目の前の星が一気に流れた。そして、次の瞬間、美しい青い星が眼前に現れる。完璧だ。さて、地上では祝宴の準備をしているだろう、大気圏突入前に、アンドロメダの美しい画像でも送ってやろう。

私は、種子島の基地を呼び出した。ミッションルームの全員が今頃は抱き合って喜んでいるだろう。そう思って、スクリーンの前に立ったのだが・・・・、なぜか応答がない。故障だろうか・・・。操縦席に戻った私は、自己診断プログラム起動のコマンドを打ち込んだ。この船のコンピュータは言葉こそ喋らないが、一種のAIである。問題があれば瞬時に発見して解決策を講じてくれるだろう。ほら・・・。

・・・・。スクリーンを見た私は、目を疑った。「異常なし」そして、その表示の下には、チェック完了時刻が表示されている。私は愕然として、計器パネルをみつめた。その一角にはRCDという文字が点滅している。

私は大きなため息をつき、目を閉じた。美しいアンドロメダ姫に心を奪われた私は、とりかえしがつかないミスをおかしてしまったようだ。RCDつまりは、相対論的同時航法を解除し忘れていたのだ。既に私の時間は枝分かれし、違う未来を持ってしまったのだ。これからアンドロメダまでは戻れるが、そこから地球にまた戻っても、同じ現在が待っているとは限らない。むしろ、大きく変わってしまっている可能性が高いのだ。もしかしたら、地球そのものが存在しない可能性もある。

しかたないな。こうなったら、とことんやってみるか。戻れないのだったら行ける所まで行くだけだ。宇宙の果て、時間の果て、つまりビッグバンの時間まで戻って、それで私の人生も終わりにしよう。それは、世界そのものを完全に違うものにしてしまう行為だが。でも、自分が知っている人達や地球に迷惑はかからない。なぜなら、宇宙はその始まりの時点で枝分かれしてしまうからだ。

既に、気持ちは決まっていた。大きく深呼吸した私は、コマンドをたたいた。そしてカウントダウンがはじまり・・・。

目の前が急に光であふれたような気がした。

「光あれ・・・そして新たな世界を・・・・」

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このページは、風見鶏が2010年1月20日 21:19に書いた記事です。

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