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雲をつかむ話(3章-2)

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クラウド上の低価格なサービスについての、最も大きな誤解だと私が考えているのが、漠然とした「安かろう悪かろう」という感覚だ。たしかに、一般論としてこの言葉は成り立つことが多いのだが、「悪かろう」の中身をちょっと考えてみたい。

たとえば、オーダーメイドの服と既製品の服を比べてみると、たしかにオーダーメイドのほうがフィットする。しかし、極端な体形の人や、お金持ちを除けば、多くの人は既製品でもそれほど大きな不満は感じないだろう。一方お値段はといえば圧倒的に既製品のほうが安い。ならば、特別な場所に行くような際に着る服を除けば既製品で十分だと多くの人が思っている。もちろん、生地の質や耐久性など、しばらく着てみないとわからない部分はあるのだが、着心地や見かけが極端に悪いとかいうのでなく、値段が十分に安ければ、「服」としての一般的な価値はそれほど下がらないと私は思う。

これはちょっと極端な例だが、少なくとも商品として「欠陥」とされるのは、服の場合は仕立てに問題があったり、見かけが(誰が見ても)おかしかったりという点に絞られそうだ。それ以外は、主観的な問題になる。

システムについて言えば、使い勝手が極端に悪くて生産性が下がる(もしくは十分に向上効果が得られない)などの問題や、安全性、安定性の確保がいいかげんでなければいいわけだ。

SaaSが提供する独自のUiについて言えば、「使い勝手」は様々である。基本的にはWebベースで可能な限界という意味では、同種の自前システムと同様な制限はある。しかし、それはパッケージでも自社開発でも同じだ。これは日本ITのカルチャーの問題かもしれないと私は思う。日本では、これまでシステムを業務に合わせてきた。たしかに、慣れた業務の流れをいじるよりは、補助的にITを導入したほうが短期的には効果が大きいかもしれない。しかし、そもそもITを最大限に使うためには根本的な仕事の流れの変更が必要だろう。「使い勝手」の悪さは、多くの場合、業務とシステムのミスマッチから起きるという点に注意が必要だ。

先にSOAの話を書いた際に、BPRの必要性について述べたが、結局はこの問題の大部分もそこに帰結するように感じている。

さて、使い勝手の話はさておき、この章の本題に入ろう。「悪かろう」が安全性や安定性にかかわる問題であっては困る、ということだ。クラウドのサービスについて、その安さからこれらを疑問視する人たちもいる。しかし、これはきわめて感覚的な不安感だ。むしろ、専門家の間では、サービスがブラックボックス化することに危惧を感じている人たちが多いようだ。たとえば、先の感覚的な不安に対して感覚的な答えを返すとすれば、大手クラウド事業者の資金力や、安全が損なわれることによるダメージを考えれば、当然のように通常以上のセキュリティが保たれているはずだということになる。しかし、この答えもまた不安同様に感覚的だ。事業者からは契約上、ほとんど保証がない。唯一すがれるとすれば、セキュリティや内部統制関連の外部認証を取得している事実くらいだろう。もちろん、それは一定の判断基準になる。しかし、忘れてはいけないのは、外部認証の多くは、事業者自身のセキュリティに関するものであり、事業者の守備範囲の中に限られたものだということだ。もちろんそれは必要なことだが、利用者の安全はそれだけでは守られない。

たとえば、事業者がどれだけセキュリティを固めようとも、利用者側がユーザIDやパスワードの管理をきちんと行わなかったらどうだろう。もし、利用者側に悪意を持った人がいたらどうだろう。事業者は問題を発見したり、リスクを軽減するための仕組みは提供できるかもしれないが、直接的にこの問題には対応できない。つまり、これは事業者の守備範囲外の出来事であり、基本的に利用者側が負うべき管理責任の範疇にはいるわけだ。事業者はある利用者(企業)の問題が他に波及しないようにはできるし、そうすべきだが、その利用者内で発生する問題については、どれだけ頑張っても間接的なサポートしかできない。当然、どんなアウトソース契約にもこうした事項は利用者側の責任として書かれているし、事業者側の責任は多くの場合限定されている。

つまり、こうした問題はクラウドという言葉が世の中で広まるずっと以前から存在していたわけだ。事業者と利用者の責任分界点をどこに決めるかという問題はずっと昔から双方にとって頭痛のタネだった。どちらも責任はできれば負いたくない。だからできるだけ相手側の責任を多くしようとする。利用者側は自分側の責任をID管理のように、どうしても負わなければいけないものだけに限定したいが、事業者側にしてみれば、突発事故的なものの責任までは負いたくない。どうしても負えと言われるならば、保険をかける意味で高い料金を設定せざるをえない。この部分はこれまで日本のIT業界では、あまり明確に語られてこなかった部分だ。つまり、互いにあいまいなままでフタをしてきたのではないかと私は考えている。だから、何か大きな問題が発生した際には、まず責任のなすりあいが発生する。しかし、ほとぼりがさめると、またこれらはうやむやにされてしまう。そんなことを続けてきたのではなかろうか。しかし、この不景気と、コストダウンを主目的としたクラウド導入圧力が高まると同時に、価格と責任のバランスという問題が顕在化してきたのだろうと思うのだ。本来このバランス感覚で考えなければいけない問題をうやむやにしてきた人たちほど「安かろう悪かろう」という言葉を発しがちなようだ。つまり自分たちの責任が増えることを「悪」と感じているのだろう。しかし、どう考えても値段を下げて責任だけは残すなどということは理不尽極まりない話である。

こう考えてみると、クラウドへの不安はなにもクラウド固有のものではなく、従来からあるアウトソーシングモデルに共通して存在する問題であることがわかる。それを、そろそろうやむやにできなくなってきただけのことなのだ。うやむやになってきた原因は、おそらく事業者、利用者双方にある。責任を語れるだけの知識や経験を持った人材を持たない、いや持とうとしない利用者側と、セキュリティをコストダウンの聖域と位置付けてしまって、その上にあぐらをかき、なおかつ利用者が責任をとれるだけの情報をきちんと開示してこなかった事業者側双方の問題である。そこにはIT人材とりわけセキュリティの専門家が事業者、ベンダ側に偏在しているという日本固有の環境条件もあるかもしれないなと私は思う。こうした環境も含めて変化を要求される時代になってきているのだとすれば、これはもしかしたら日本のIT全体にとって大きな変革のチャンスなのかもしれない。

技術的に見ても、クラウドは、これまである程度熟成されてきた技術の上になりたっている。つまり、個々の要素についてみれば、そのセキュリティについては、ほとんど解が用意されていると私は思う。もちろん、まったくイノベーションがないわけではないが、どちらかと言えば、クラウドに関する問題はほとんどが、これまでの基本問題を組み合わせた応用問題だと言えるだろう。

ちょっと視点を技術に移して、クラウドの要素技術とセキュリティの関係を考えてみよう。

(続く)

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このページは、風見鶏が2010年1月15日 07:57に書いた記事です。

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