健康の最近のブログ記事
今日は朝からちょっとどんより。春の日差しも一段落。ここ数日に比べると、ちょっと涼しい朝。近所のソメイヨシノは壊滅状態。かわってヤエザクラ(サトザクラ?)が咲き始めた。
ちなみに、今日改めて知ったのだが。ヤエザクラとかサトザクラというのは総称で、個々には品種があるらしい。ちなみに、この両方に属する品種も多いらしい。
電車の中は相変わらず暑い。ネクタイなし、上着なし、腕まくりで今日はちょうどいい気温。ちなみに、先週はそれでも汗だくになった。いつもの新橋駅前は17℃。ちなみに、今日は電車が渋滞して遅れた。ここでは4分遅れ。
月曜日はやはりなんとなくダルい。金曜日の打ち合わせを受けて、朝市でToDoをまとめてみる。今週はやっぱりやることが多い。ともあれ、昼はお散歩。
今日の光の加減は、こういう効果を入れて見たくなる雰囲気。色の鮮やかさがないので、モノクロにしてみると、より雰囲気をを強調できる。ちょっと無機質な感じだ。
こんな日でも、春の花は鮮やか。ちょっとほっとする。
冒頭に書いたウンチクだが、きっかけはこの並木。これからが見頃の「サトザクラ」
これまで花がなかったので気にもかけていなかったのだけど、品種が書いてある木がある。
花が咲くまで、私はこの木を銀杏だと思って疑わなかった。看板には「イチヨウ」と書いてある。実は、一葉というサトザクラ(ヤエザクラ)な品種。ちなみに、この看板にはサトザクラとあるが、ヤエザクラとしても名前が挙がってくる。
こちらは、「カンザン」、漢字では関山と書くらしいのだが、なぜか英語名は"Sekiyama"になっている不思議。
そしてこちらはフゲンゾウ。イチヨウとは色で区別できるが、私にはカンザンと見分けがつかない。ちなみに、サトザクラとは、人が観賞用に品種改良を加えたもので、オオシマザクラと他の花を交配して花弁の数を多くしたもののようだ。ヤエザクラはこうした花弁の多い花の総称なので、両方に属する花が多くなるらしい。
看板がないと、もう品種はわからない。まぁ、そんなことは考えず、見て楽しもうではないか。
ちなみに、このあたりも、もうソメイヨシノは全滅。だんだん緑がかってきている。
春海橋を渡りながら、いつものスカイツリー。もう背丈は伸びきったのか・・・・?。鋭意、外装工事中といった感じだ。
晴海側の歩道の生け垣は、そろそろツツジの季節だ。
このあたりももうすぐツツジが咲き始める。今度は一面ツツジになる。
豊洲側の護岸に雀が一羽、たそがれている。
ここの桜もあっというまに緑の葉っぱになってしまった・・・・・
このどんよりしたお天気では、私もちょっとたそがれたくなってしまう。
たそがれる、といえばアレだが、会社のWebフィルタリングが強化された煽りで、会社から自分のブログも見えなくなった。ブログサイトではなく自分のサイトなのでたかをくくっていたら、なんと、しっかりと個人サイトのカテゴリーに分類されているらしい。しかし、なにもそこまでフィルタしなくても・・・・・。まぁ、文句をたれても会社からは見えないから(笑)敢えて書いてやるのだが、おかげでもうグーグル様は情報収集にはあんまり役にたたない。個人サイトやブログにある多くの情報は利用できなくなった。会社の親睦会の情報集めもできない。私がこいつを導入した時は、仕事重視でポリシーをゆるめつつも、きちんとアクセスを監視するやりかただったのだが、残念ながら、どういうわけか、世間並みの(非IT会社並の)ポリシーになってしまったようだ。某社会主義国家みたいに、その国にいる限りは抜け道がないならともかく、一企業でそれやっても、ケータイとかスマホ、データ通信カードも使用禁止しない限りは全部抜け道に逃げてしまう。でないと、正直、IT会社では仕事にならない。逆に、会社としてネットの利用実態が掌握できなくなってしまうばかりか、社員をより危険な方向に追いやってしまうことに、なぜ気づかないのだろう。
IT会社はセキュリティ管理に、紋切り型ポリシーではなく、もっと人と技術を投入すべし・・・と思うのだけどね。
さておき、色鮮やかな季節は続く。来週は、国外逃亡予定。世知辛い日本からしばし逃亡、頑張って支援してくれている同盟国に行って恩返しにカネを使ってくる予定。(笑)
というわけで、今週はちょっと頑張らないといけない。まぁ、仕事はメリハリをつけてというので、ちょっと気合いを入れておこう。残念な話はとりあえず忘れて。
明日は雨予報。まぁ、たまには花粉を洗い流してくれないとね。
さて、今週も始まったばかり。今夜は早めに寝て鋭気を養おう。
休み明け月曜日。なんとなくだるい朝だが、気合いを入れ直して会社へ。天気がよかったので、傘を持って・・・というお天気おね~さんの言葉を無視してしまったのは間違いだったかも。だんだん、暖かくなってきて、空調がきかない電車の中は蒸し風呂になりはじめた。駅まで勢いつけて歩くせいもあるのだけど、今日は電車の中では上着を脱いでも暑くて汗だくになった。コート着て涼しい顔してる奴がまだいるのは信じられない。まぁ、人より厚めの脂肪層が影響しているのは否定できないのだけど。先週末ほどではないものの、気温も高い目。
今日は会議室の都合でいつもの会議は午後に持ち越し。午前中は先週の続きをあれこれ。昼休みもお天気はよくて、あたたかい。今日は昼食を外でとったので、散歩は短め。いつものこのあたりから始めてちょっと一回り。
桜は盛りを過ぎつつあるが、春の草花はまだ今が盛り。
キュービックガーデンはまだオープンしていないけど、最近植えられたばかりの八重桜が花をつけ始めた。
キュービックガーデンの周囲は八重桜が多く植えられているようだ。で、あとで気がついたこの画像・・・・。
桜の後ろがわに見える雲がちょっと変。ちょっと画像処理で強調してみた。縦縞のような感じなのだが、もしかしてこれは地震雲?、などと考えてしまうのは、今日も結構大きな地震があったからだろう。東京直下の前触れ?、などとは思わないでおこうと思うのだが、これだけ揺さぶられると、あちこちの断層が活動し始めそうでちょっと恐い。
夕方、打ち合わせのために、新宿三井ビルにある某社を訪ねたのだが、打ち合わせが終わりかけた頃にいきなり地震警報。まもなく軽い縦揺れが来て、次に横揺れ。高層ビルのせいもあるのだろうが、ゆっくりとした揺れが結構長い時間続いて、なんとなく気分が悪くなった。高層階のエレベーターが止まってしまったので、中層階まで階段で下りるハメに。このところ、また大きな余震が福島あたりで頻発しはじめた。原発事故対応に悪戦苦闘している中、皮肉な話だ。今日も、一時送電が止まって水が送れなくなったようだが、大事には至らなくて幸い。さきほども結構大きな地震があったので、まだしばらくはこうした揺れが時々起きるのだろう。気が抜けない状態が続く。早く収まって欲しいものだが。
打ち合わせ中に気がついたら、外は黒雲。雨が降り出していたので、傘を持ってこなかったのを悔やんだのだが、幸いにも帰宅する頃には雨は上がっていた。これはラッキー。そんなこんなで今週もスタート。ぼちぼち頑張りますわ。
一方、有楽町線は遅れていて、いつもにないすし詰め状態。豊洲駅階段付近のドアが特に混雑するのには、うちの会社も一役買っているのだろう。早く改札工事が終わってほしいものだと。
豊洲界隈もちょっとまた雰囲気がかわりつつある。豊洲フロントとキュービックガーデンの間の空き地沿いの壁が撤去されてたぶん、ここには屋根付きの歩道ができるのだろう。工事が始まっている。
一方で、キュービックガーデンの周囲はようやく立ち入り禁止が解除された。例の綺麗な歩道橋はまだ通行止めだが、玄関先までは入ることができる。
某社脇の歩道の桜並木はオオシマザクラが中心。この桜は花と同時に葉も出るのが特徴。ソメイヨシノより開花も少し早い。もう準備万端、あとは咲くだけといった感じだ。
スカイツリーはアンテナ部分がまた伸びたような気がする。隅田川沿いの桜が咲いたら、桜とスカイツリーの写真を撮りに行こうかと思っている。
そういえば、春海橋の耐震補強工事現場にこんな看板が・・・・・
これは土建屋さんだけじゃなくて、某業界にも配りたいようなポスターだなと。(笑)
こちらは晴海側の桜並木。ここはソメイヨシノが中心。こちらも鋭意準備中といった感じだ。
なんだか今日の昼はかなり潮が引いている。今は午後2時ぎあたりが干潮の時間帯のようで、ここ数日は引き潮がかなり大きそうな感じ。月と太陽の位置関係で引き潮と満ち潮の大きさがアンバランスになるのも興味深い。(気象庁の潮位観測・予測データから)自然のうつりかわりは結構ダイナミックだ。
今日も天気は悪くはなかったのだけど、やはりいまいちすっきりしない。明日も午前中は晴れるものの夜には雨が降りそうな予報。不安定な気候は季節の変わり目だからだろうかな。
夜はちょっと用事ができて早めに会社を出た。天気はよくなってきたけど、ちょっと寒い。
そういえば、福島原発で被爆事故。今日になって思ったのだけど、原子炉から離れたタービン建屋の屋根に穴が開いてるのはなぜ?。そしてそこに放射性物質が含まれた水たまり?、これは大いなる謎かもしれない。以前に書いたのだけど、ウランの核分裂で生じる放射性物質の多くがβ崩壊する。簡単に言えば、原子核の中の中性子が多い不安定な元素の中性子が陽子に変わり、電子が放出される形の崩壊だ。この電子がβ線である。これまでシーベルトの数値で公表されてきたのは、このβ崩壊に伴って出る脇役のγ線の量だ。γ線はX線をもっと高エネルギーにした一種の電磁波であり、飛距離が長く透過性も強い。β線は空気中では長距離を飛べない。しかし、至近距離での被爆だとβ線のほうが人体への影響は大きかったりする。今回の被爆は放射性物質に触れたことで、このβ線の影響をもろに食らったものだ。放射性物質への接触や内部被爆が怖いのは、飛距離のないβ線やα線のような粒子線の影響が強く出る点にもある。ただ、これは一時期に大量の放射線を浴びたり放射性物質に触れたりした場合の話であり、これとたとえば関東地方での水道水などの話を一緒にはしないほうがいい。レベルにして何億倍の単位で違う話なので。ちなみに、今日のニュース解説でも言っていたのだが、大人は多少の被爆でも発ガンなどのリスクはほとんど増加しないそうだ。(これはチェルノブイリ事故での統計の結果らしい)一方、乳幼児は大人に比べて感受性が高く、大人に比べれば影響が出やすいので、今回のような注意が必要になる。ただ、直接大量にそうした水を飲ませなければ問題はなさそうだ。大人が飲んだとしても母乳や妊娠中の胎児への影響はないだろうというのが、産婦人科学会の見解らしい。なので、パニックになる必要はない。むしろ不安を感じることでの精神的な影響のほうが大きそうだ。
さて、ということで水でも飲んで枕を高くしてゆっくりと寝ることにしよう。心の平穏と十分な睡眠が健康の第一歩だから。
今朝はちょっと天気も回復して気分は持ち直し。今日は、午前中に某協会の幹事会、午後はちょっととある大学の先生との打ち合わせなどあって、終日外出。まずは西新橋の某協会に行って、それから横浜に移動。
この時間になると、また空もどんよりと曇り始めてきた。横浜に移動して、駅前の地下街で昼食。実は、某協会のリスク評価検討WGの活動に興味をもっていただいた先生がいらっしゃるので、ちょっとお話に伺った次第。統計手法を使ったリスクの定量化を模索しているのだが、そろそろ試行錯誤から、なんらかのモデル作りをはじめようとしている矢先だったので、願ったりかなったり。経済学の面での定量化モデル作りなどをされてきた先生で、今後、いろいろとアドバイスもお願いできそうなので、いい関係を作って行ければと思っている。
さて、ニュースを見ていたら、なにやら東京の水道水で放射性物質が検出されたとか。福島などでも、野菜や牛乳などからの検出があいついでいる様子。案の定、かなりあちこちで過剰反応が出ている。今日、先生ともお話ししていたのだけど、リスクが定量的に可視化できないと、どうしても過剰に反応せざるを得なくなるのは、情報セキュリティと同じ。放射性物質が基準値以上検出された、という情報のレベルは、情報セキュリティで言えば「会社支給の携帯電話やPCをなくしました」、という第一報に等しいと思う。では、それにはどういう情報が含まれていて、それは漏れるとどういう影響があるのか、また、拾われた場合にそのPCからデータを抜けるのかそれとも暗号化されているからまず無理なのか、そういう情報があってはじめてそのリスクを評価できる。それと同じで、本来、様々な種類がある放射性物質についても、その種類(核種)とその物理的、化学的特性によってリスクや対策が異なるはずだ。たとえば、前にも書いたが、今回検出されたヨウ素の放射性同位体の一種である質量数131のものは、半減期が8日ほど。つまり、あらたに蓄積がなければ、その放射能は8日で半分になる。一方、セシウムの場合、質量数が134の同位体は2年ほど、135のものは230万年、137のものは30年あまりとヨウ素に比べるとかなり長い、つまり、長期間放射能が残留する。これが物理的な性質。一方で化学的な性質からみると、ヨウ素は人体に必須の元素のひとつ。甲状腺への蓄積が懸念されるので、長期間、連続して摂取してしまうと、半減期にかかわらず影響が出る可能性がある。セシウムは、やはり必須元素であるカリウムと性質が似ているため、人体内で置き換わる可能性があり筋肉などに取り込まれる。但し、セシウムは体内では代謝による半減期が70日程度(by Wikipedia)と言われており、放射能の半減期に比べるとかなり短い。大量に摂取すると危険だが、相当の余裕をもって設定されてる現在の安全基準を少し超えた程度では、長期間摂取し続けなければ、ほとんど影響は出ないと言えるだろう。つまり、いずれも長期間それにさらされるような環境にないならば、現在検出されている量ではリスクは少ないと言える。ただ、放射性セシウムに汚染されてしまった農地は汚染除去が必要になると考えられる。つまり、こうした前提から見れば、今回の農産物などの一時的な出荷停止や、飲料水に関する警告と、一般の人々への危険は少ないという説明は矛盾しないだろうと思う。私はそういう意味では専門家ではないが、一応、学生時代に核物理を勉強していたので基礎知識はあるつもりだ。(まぁ、その程度のレベルではあるのだけど、「ど」素人ではないので・・・)
こういう説明はなかなか難しいのだが、メディアに対して政府はきちんと説明をし、メディアはそれを正確に報道してほしいと思う。恐れることはないという言葉に何度も騙された国民は疑心暗鬼になりがちだ。専門家の見解も含めた論理的な説明が必要だと思う。ただ、これらが一種の確率論であることも忘れてはならない。なにごとも絶対はないのだが、鉄道事故を恐れて電車に乗らないなどということがないように、過剰に恐れてはかえってマイナスになるようなものだと思う。
さて、今夜も電力需給はなんとかバランスしているみたいだ。ただ、慢性的な不足が懸念されるので、恒久的な節電策は考えておく必要があるだろうと思う。情報セキュリティでの大きな誤解の一つに、セキュリティを考えれば多少の不便は許容すべし、という考え方がある。でも、私はこれは一種の思考停止だと思っている。特に我々技術屋は、セキュリティを高めつつ、どうしたらより便利になるかを考えるという欲張り根性が必要なのだ。困難なときほど技術は進歩する。今回の電力危機も、利便性を高めつつエネルギー消費を抑える技術を開発する大きなチャンスだと思っている。家庭でも生活の質は重要だ。これは社会の活力にもつながる。どうしたら生活の質を落とさずに節電ができるか、みんなが知恵をしぼることが必要だ。
毎年一月恒例、人間ドック入り。で、朝からこんなあたりまで。
今や東京の20世紀的な風景。東京タワーも、この増上寺大門と同じく歴史的風景になる日は、そう遠くないかもしれない。
人間ドックとはいっても、定期検診にちょっと検査項目が増えたみたいなモノだから、午前中には終わってしまう。検診センターだから、手慣れたモノで、流れ作業で検査が進んでいく。普段の病院とは異質な世界だ。なんとなく、工場のラインに乗せられて検査されているような錯覚におちいった。まぁ、自分も世の中の部品の一つ。どれくらい貴重な部品なのかはさておき、定期点検で異常があれば修理しなくちゃいけないし、壊れたら交換されてしまう。とりあえず、大きな異常はないので「きりきり働け!」ということか。
午後にはもうほとんどの結果が出て、医師面接となる。画像も含めてすべてシステム上に乗ってしまっているので、画面を見ながらの説明となる。ITはすばらしい。いや、我々の仕事にもこういうすばらしいITが使えれば苦労しないで済むのに・・・(笑)
特に異常はないけど、薬で抑えているのだから、生活を悔い改めよ、とありがたいご託宣をいただき、釈放となった。で、そのまま帰社。飲まされた白い流動物は、昼飯を喰ったあとに、ほぼ出てしまったのだけど、腹の調子はいまいち。まだごろごろ言ってる。
帰りがけに、昨日の失敗写真の撮り直し。今日はレンズを確認してから撮影。しばらく仕事をしたらもう日が暮れて、今日は腹の調子もいまいちなので、とっとと帰ってきた。月が綺麗だ。満月近しといったところ。
さて、メディカルチェックもすませたし、またがんばって働くとするかぁ・・。風呂入って、今日は早めに寝よっと。
結局、月曜午後から板橋区の某病院に入院、火曜の午後に関節鏡(内視鏡)による手術を受け、水曜にははや退院。経過は、いまのところまずまず。まだ、膝に水がたまった状態で、90度くらいしか曲がらないし、完全にのばすのもちょっと辛い状態だが、痛みはほとんど取れて、片足に全体重をかけることもできる。
手術は腰椎麻酔でモニターを見ながら40分ほど。いやぁ、まるで「ミクロの決死圏」みたいで、自分の膝の中に潜っているような感覚はなかなか楽しい。結局、半月板は小さな割れ目が入っていて、その部分を切除というか削り取って、平らにしておしまい。あとは、ひととおり、関節の中をチェックして、少し、あれている部分を削って終了。
麻酔が完全に切れる前に動いてしまって、気分が悪くなったり(血圧がさがってしまうらしく・・)、夜中に傷がうずいて熱が出たりと、ちょっと辛かった一夜があけたら、なんとかゆっくり歩いて帰れるところまで回復。
まだ、歩く速度はゆっくりだが、確実に状態はよくなってきている。今日も、1時間シフトで会社に行ってきた。ただ、左右の膝を見比べると、明らかに水がたまっているのがわかる。明日、診察に行くのだけど、たぶん水を抜いてもらうことになるだろうから、そうしたら、もう少し状態はよくなるだろう。ちなみに、明日の診察はいつもの都心の病院。なにゆえ、板橋区(西台)あたりで手術をしたかといえば、いつもの病院の予定が埋まっていて手術が遅くなりそうだったので、担当医師のバイト先の病院で手術となった次第。まぁ、早いにこしたことはないので。
右が回復したら、ついでに左の状態も診てもらおうかと。半月板はともかく、膝全体をみると、左の方が悪そうなので。
東京は・・・というよりも、世界中の大都会はみんなそうなのかもしれないが、なにもかもがせわしなく動いていて、立ち止まることが許されない。みんな少しでも先に行こうとして、それが逆に渋滞を引き起こす。道路の人の流れしかり、仕事もしかり。すこしペースを下げれば、すべてすんなりと流れるのに、焦るから余計に行き詰まる。
最近膝を痛めているのだけど、これまでも何度か足を痛めた時に、常に感じるのがこれだ。たしかに、自分もいつもは、人より少し速く歩いている。ゆっくり歩いている人は煩わしく感じる。自分より速いやつには対抗したくなる。それが東京の日常だし、エキサイティングな街だと感じてきた。
だが、それができなくなった時に、この街への見方は一変する。周囲の人の流れは怖いくらいだ。朝の駅の階段では突き飛ばされそうになる。杖を持って電車に乗ると、前に座っている(特に)オヤジたちは寝たフリをする。まぁ、自分にも多少心当たりがあるのだが、それが普通になってしまっていると、案外自分のしていることに気づかないものだ。
このところ、そんな状態でかなりストレスがたまっているのだが、ちょっと視点を変えて、ゆっくり歩きながら周囲を観察してみるのもいいかなと思い始めた。みんな、自分が毎日どんな顔をして電車に乗っているのか。道を歩いているとき、どれほど怖い顔や疲れた顔をして歩いているのか。
人は自分の鏡だ。この際だから、周囲に写して、自分の日常を振り返ってみようと思う。
とはいえ、こういうストレスがたまる状態を放置するわけにもいかない。さて、今日はこれから膝の治療(手術)の打ち合わせに病院へ行ってくる予定。さっさと治して、またレースに復帰しようか。でも、この経験は忘れないようにしよう。
うつ病と診断されて、治療をはじめてから1年半、薬も次第に減り、もうあとは止めるだけの量まできた私。自分ながらに、比較的うまく立ち直れたと思ってはいるのだけど、これはかなりラッキーが重なった結果のようにも思う。
今日、やはり2年ほど、うつを患って治療を受けているという知人と話をした。様々な事情から、仕事を休むことをせず、投薬治療を受けてきたものの、薬が増える一方で、なかなか改善せず、最近、思い切って休職を決意したという。休職したまま、戻らない可能性も高いのだとか。
私の場合、幸いにも会社の制度も整っていて、周囲への気兼ねはあったものの、思い切って振り払って休職できたのだけれど、なかなかこれができる状況にない人も多いのだという現実を見せつけられた気がした。そう思うと、自分自身の立ち直り方がそれでよかったのか・・・・などと少し余計なことまで考えてしまったのだけど、これは、ある意味で自分の頭を整理するいい機会にもなったかもしれない。
会話していて、自分の経験を話しながらも、それに違和感を感じている自分がいた。状況があまりに違いすぎるから、なんとなく言葉が空回りする。中途半端な励ましよりは、もう全部忘れてのんびりしなさい・・・というべきなのだが、その言葉を簡単に言えない。自分はそうしたことが、その人には難しい現実があるからだ。教科書通りに「聞き手」にまわりながらも、なんとなく不思議な後ろめたさを感じていた。
心のケアは、人それぞれの状況によって変わる。自分の経験が必ずしも人の役にたつとは限らない。ただ、このような時に、うまく相談にのれない自分が歯がゆかった。もちろん、それが普通であることは承知しているのだけど。
自分の場合、独り身であることもあって、きままな生活をしながら充電することができたのだけれど、こういうケースはむしろレアなのだと思う。社会生活をしている以上、ストレスは避けられない。気がついているストレスならば、避けようもあるし抵抗もできるのだけど、案外、心に重くのしかかってくるのは、自分が気づいていないか、もしくは気づいていても気づかぬふりをして否定してしまっているようなストレスだと思う。知らぬ間に、がんじがらめになって、心が窒息してしまうのだ。敵の姿が見えないから、あがけばあがくほど息ができなくなる。何がストレスかもわからないから戦いようがない、ならば、ストレスの原因になりそうな物を一旦全部排除して、まずは心の深呼吸から、というのが基本だと、教科書的には書いてあるのだが、現実にはそれが難しい。私の場合は、たまたまそれが基本に近い形でできる環境を与えてもらっていたということなのだろう。
ただ、少し振り返ってみるならば、とにかく自分が「気持ちいい」と感じることをひたすらしていたような気もする。ならば、全部は無理でも、少しずつ、どこかで何か自分が気持ちよく感じる方向に舵を切ることができれば、それは第一歩になるのかもしれない。ストレスと闘う必要はない。逃げてもいいのだ。いや、まずは逃げるべきなのだろう。いつかはまた戦うことが必要になるだろうが、それは完全に充電が完了してから思う存分やればいいのだと思う。少なくともそういう気持ちでいられれば、いい方向に向かうのだろう。焦るなと言っても、休んでいる間も周囲は走っているのだから、それは難しいのかもしれない。ならば、今はしばらく借りを作っておいて、後で倍返しするくらいの気持ちでいてもいい。これも気の持ちようなのだろうけど、性格的に難しい人も多い。むしろそれが下手な人が心に痛手を負ってしまう。そこは、うまく自分を納得させる(騙す)ことも必要だろうと思う。そうして、みんなが感じるある種の「うしろめたさ」を、うまく消してしまうことが大きなポイントなのかもしれない。
私にしても、まだ治療のステップは完結していない。時々は自分を見直してみることも必要なのだなと思った次第。知らず知らずにまた、負のスパイラルに落ちってしまわないように。
まだ道半ば・・・・なのだから。
























































