所感: 2009年11月アーカイブ

昨日はいいお天気だったから、朝から掃除、洗濯、布団干しなど、あれこれやって、遅い目の昼飯をいつものそば屋で食べてから、向かいのコジマを冷やかし・・・のつもりだったが、折悪く、DSiーLLの発売日。DS-Liteのスペシャルカラー(クリムゾン・レッド)は気にいってはいるものの、画面が小さくてRPGなどの長時間プレイは目が疲れて無理。ドラクエもとん挫したままになっている。出たら買おうと思っていた「おじさん、おばさん向けDS」なので、即ゲットしてしまった。

それから、家に帰ってとりあえずバッテリーを充電しながら、あれこれ・・・。最近日が短いので、あっという間に陽が傾いて・・・・。気持ちいい感じなので、久しぶり気夕方のお散歩に出かけた。もうちょっと寒くなっている。

いつもの公園の木々はすっかり紅葉して、夕陽を受けてあざやかだ。

この公園から、いつもの高台に登って、夕陽を見るのが夕方の散歩パターン。ぼちぼち歩きながら、またしても昨日の昼のようなことを考え始めた。こうして見えている、自分を完全に取り囲んでいるように見える景色が、実はそれがすべてではなかったら・・・・。すべてを電磁相互作用に依存している人間の五感は本当に信じられるのか。まぁ、この疑問は自分の存在、いや人類やこの世界自体の存在への疑問にもつながりかねないので、非常に危険なのは承知しているのだが、最近ついついそういうことを考える。高次空間に繋ぎとめられた薄っぺらな3次元方向にしか厚みのない世界にいるのが我々なのか、もしくは、光というものの性質のせいで、そういうふうに(周囲に存在している他の次元方向にあるものが存在しないように)見えているだけなのか。この美しい夕景も、もしかしたらまったく違う見え方をするのかもしれない。

見えているものとの間の距離は、本当に見えているとおりなのだろうか。これは、単に我々が知覚できる3次元のスクリーンに光というものによって投影された影なのではないだろうか。同じ距離に見えるものでも、実はもういくつかの次元を加えて距離を測ると、バラバラなんじゃないだろうか。光によって見えるものは、すべて自分にとっては過去の影だ。アインシュタインによれば、この影の状態以上に、今に近いものを考えることは無意味らしい。しかし、それはなんとなく不自然に感じられる。その同時性における不確かさの大きさは、距離が遠くなるほど大きくなるらしい。もちろん、これは光の速度が自然界の最高速度であると仮定しての話だ。しかし、そもそもその速度は何を基準に測っているのか、それは測り手の固有時間に過ぎない。どの固有時間で測っても同じ速度に見えるという光の性質を、私はそのまま受け入れることができない。そうさせている何かが、より高い次元に存在するはずだ。いや、時間そのものについての考え方が間違っているのだとすれば、そうした時間に依存した測定は少なくとも、今考えられているような意味はもたなくなるだろう。

また、頭がこんがらかってきたので、少し忘れて、夕陽をながめることにした。この太陽は、8分前の姿だ。でも、これを見ながら、今現在の太陽がどうなのかを想像することをやめられるだろうか。それはあまりに不自然に思える。ちなみに、8分前太陽を出た光の中には、太陽の中心部で100万年も前に生まれたものがあるらしい。太陽の中心部から光が外に出てくるには、それくらいの長い年月がかかるのだそうだ。もちろん、まっすぐに出てこられるわけではないのだが、それにしても、この落差はなんだろう。

そういえば、光は物質が存在する空間では速度が落ちる。これも不思議な話だ。真空中の光の速度は自然界の最高速度だが、たとえば水の中ではそうではない。光、つまり電磁波の伝わる速度よりも速いものが存在する。チェレンコフ効果という、高エネルギーの粒子やニュートリノの検出などに使われている現象は、たとえば水中を光よりも速く動く荷電粒子に電磁場(もしくは光子)が追い付けずに引きはがされて光として見える現象なのだそうだ。ちょうど、飛行機が音速を超える時の衝撃波に似ているかもしれない。そうなることの理論的な説明はあるのだが、なんとなく感覚的には納得がいかない。これが、私が理論家になれなかった(ならなかった?)理由なのかもしれないのだけど。

ともあれ、光、時間、不思議なものがこの世界には多い。たとえば、パラレルワールド仮説を例にとれば、この瞬間も世界は枝分かれしている。たまたまこれを読んでしまったあなたは、なんらかの理由で読まなかった自分とはすでに違う時の流れにいるわけだ。私もそう。この瞬間にも、これを書くのに一回で書けただろう私と、ミスタイプをした私はすでに違う時間の流れの中にいる。時間の流れは、もしかしたら確率的な広がりを持つものなのかもしれない。今の私がある原因の連鎖の結果だとすれば、それ以外の時間軸を持ってしまった私は、今の私の(時間の流れの空間において)周囲にに確率的に分布しているはずだ。それじゃ、時間は1次元じゃないのか。今の私という存在は高次元における私全体のひとつの切片でしかないのか。

こう考えると、そこから先にまた妄想が広がる。きりがないし、頭も疲れるので昨日はこれくらいで切り上げた。でも、こんなメモ的な日記を残しておけば、また続きを考えられるし、もしかしたら大発見ができるかも・・・なんて夢みたいなことも考えられるから楽しい。

さて、家にかえったら、DSが充電完了していたので、さっそく動かしてみた。まず、家の無線LANにつなごうとしたのだけど、これがうまくいかない。さすがに、このご時世、家はWPA2/AESを使っているのだけど、これはDS的には「上級者向け機能」ということになっている。APにはすぐにつながったのだけど、そのあと何度やってもDHCPでうまくアドレスがとれない。固定アドレスを設定してみたら通信はしてるみたいだけど、DNSへのアクセスがおかしくてネットにつながらない。どうやら設定したネットマスクもおかしいみたいで、ブロードキャストがうまくいかないようにも見える。これは、もしかしてバグなんだろうか・・・。「上級者機能」だからなぁ、そういうこともあるか・・・。ネットにつながらないとファームウエアも更新できないしなぁ・・・。困った。結局、これで3時間ほど悪戦苦闘して、昨夜はおしまい。ま、従来通りのゲームはできるので、そのうち解決策が見つかることを期待していよう。

久しぶりの散歩

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このところ、膝の具合が悪くて長時間歩くことをちょっと控えていたのだけれど、いい天気で、それほど寒くもなかった今日は、久しぶりにお昼の散歩に出かけてみた。

気持ちのいい青空、ひんやりとして気持ちのいい空気、日差しはまだ少しまぶしいけれど、暖かい。春先に、満開になる桜並木は、すっかり葉も色づいて散り始めている。

また、春が来たら桜のアーチになるのだけど、しばらくはお預けだ。とりあえず、ぶらぶらと橋を渡って豊洲あたりまで行ってみた。運河沿いも気持ちがいい。水面にうつる日差しもずいぶんと柔らかくなった。青空をうつした水面も気持ちがいい。そういえば、このあたりの川岸を見ると、ずいぶん水が綺麗になったなと思う。川岸の浅瀬は綺麗に底が見えるから。

なんとなく時間の流れがゆっくりになった気がする。ちょっとこのところ、仕事がペースアップしてきたので、こういう時間も大切にしたいものだと。

時間といえば、ふと今日も、こんなことを考えながら歩いていた。時間ってなんだろう。昔から時間の流れの存在は、暗黙に認められていて、誰もそれに疑問を抱かない。しかし、考えてみれば、これほど感覚的なものもない。実際、時計は一定かつ共通の時間の尺度に見えるが、厳密にいえば、たとえ原子時計であろうとも、すべての時計は異なる時を刻む。単に人の感覚では違いが感じ取れないだけだ。もしかしたら、時間などという独立した軸は存在しないのかもしれない。時間は位置や運動と渾然一体として、相対的なものだ。物が動くから時間が存在する。動き方によって時間もかわる。アインシュタインの考え方だが、もう一歩進めて時間(ここでは固有時間のことだが)を独立した軸としてではなく、他の軸(次元)と同等なもう一つの自由度であると考えたらどうなるだろうか。なんとなく、タイムマシンパラドックスにひっかかりそうだが、時間はそれぞれ自由にとった4次元空間の中の3次元座標系に固有の流れを持つのだから、高い次元で見れば、運動の一つにすぎないのかもしれない。でも、時間がなければ運動をどうやって表現できるのか・・・。こんなことを考えていると、なんとなく頭がこんがらかってくる。そもそも、絵に描くこともできない、数式でしか表わせない高次元の世界を頭の中で考えることは、アインシュタインやホーキングのような超天才にしか許されないことなのだろう。でも、こういう空想は楽しい。

そもそも、人間は生まれた時から目に見えるもの、五感で感じられるものを信じてきた。まぁ、時々、+α の次元を見通して、普通は見えない存在を見ちゃう人もいるみたいだけど。光、つまり視覚は最も信ずべき感覚だと思われている。しかし、これほどまだ実態がわかっていない代物もない。電磁波?、光量子、質量もないのに運動量は持ってる?、速度は一定で、エネルギーは波長が短いほど高い?。数式上では解けても、誰もその本質はわからない。人間の五感はそれぞれ補完し合っているのだが、よく考えてみれば、五感をつかさどっている感覚器官はすべからく広い意味では電磁作用を使って、情報を収集、伝達している。そういう意味では、電磁場に縛られているわけだから、直接、間接的に電磁場に対して影響を与えるものでなければ感知できないとも言える。重力だって、電荷を持った粒子(質量)と相互作用するから感じられるわけだ。もしかしたら、我々は偽りの世界に住んでいるのかもしれないな、とちょっと疑心暗鬼な感じだ。

ビッグバン以来、宇宙は加速膨張しているというけど、それは本当なんだろうか。結局、理論家はダークエネルギーなる不可思議な概念を加えて、また数式を複雑化してしまう。なんとなく、このままでは最も美しいはずの大統一理論も、不可解きわまりない数式の山になりそうだ。敢えて、過去にやった勉強を捨てて、こういうことを言うのだけど、自然はもっとシンプルなものなのかもしれない。時間、というものが今考えられている以上に不確かなものだったとしたら、すべての計測は無意味になるかもしれないし、ある意味、これまでの考え方を一回捨てて、一から考え直してしまうような大天才が出てこないものだろうか。たとえば、光の速度が一定で越えられない・・・ということだって、時間が自在に変化する世界では、違う見え方をするかもしれない。・・・・妄想だが、これもまた楽しい。たとえば、今我々が見ている光が、実はもっと高次の何かの影だったり副作用だったりしたら・・・。こんな妄想をしだすときりがないのだけどね。

秋空の下の散歩、そして秋の夜長は、こんなことも考えさせるのかな。

出張日程終了

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今日はハロウィーン。今回の出張も無事終了して、現在サンフランシスコ空港のラウンジで搭乗待ちをしている。あいかわらずの時差ぼけは続いていて、今朝も3時に目が覚めて眠れなくなった。まぁ、そのほうが日本に戻ってから体内時計を戻しやすいのだけど。

この2日は、久しぶりにシリコンバレーで企業訪問や現地スタッフと打ち合わせ。そういえば、この2年ほど、社内の仕事中心だったので、すっかりご無沙汰していた。

一昨日は夜、現地の人たちと懇親会。シリコンバレーも最近は、いまいちさえない状況みたいで、ITベンチャーも総じて元気がないらしい。まぁ、ここしばらくは仕方がないのかもしれないが。

ともあれ、やっぱりこういう仕事をしているほうが自分の性に合ってるなと改めて思った出張だった。あちこち行って、いろんな人たちに会って、いろんな技術やビジネスに触れられるこの仕事はやっぱり刺激的。気持ちの上でも張り合いがある。

さて、あとは日本に帰って、明日からまた仕事だ。今朝のSFベイエリアは雲と霧に覆われている。空港もかすんで視界がきかない状態。フライトに遅れが出なければいいのだけどね。まぁ、霧の街の空港なのであまり心配はいらないだろうけど。

さて、あと20分ほどで搭乗開始。そろそろラウンジを出る準備をしようか・・。

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