このブログは「風見鶏」が、日々気づいたこと、思ったこと、したことを気ままに綴る日記です。旧ブログがシステムトラブルのため更新できなくなってしまったため、2023年10月に再構築しました。過去の記事は、こちら から参照できます。なお、ここに書いていることは、あくまで個人的な思いであり、いかなる組織をも代表、代弁するものではありませんし、無関係ですので念のため。 下のバナー画像は季節ごとに変えていますが、ブラウザによってはキャッシュされてしまって変わらないことがあるようです。季節外れの画像が表示されていた場合は、ブラウザのキャッシュをクリアしてみてください。

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一区切り・・・

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先週はまた少し気温が高めで推移した別宅界隈。まぁ、高めと言っても「寒くない」「暑くない」程度である。

温泉がちょうどいい季節。連休が終わって、少し人が減ったホテルの温泉に浸かって身体をほぐす。

先にも書いたのだが、先週の木曜日に別宅をあとにして横浜へ移動した。途中、いつものように横川SAで釜飯を調達して帰る。

そして久しぶりにこんな夕景。

日曜から月曜にかけて小松へ行く予定で、日曜の飛行機をとっていたのだけれど、横浜に到着して忘れ物に気がついた。土地の引き渡しに必要な権利関係の書類一式を別宅に忘れてきたのである。流石にこれはまずい。飛行機をキャンセルして別宅経由で小松・・・とかあれこれ考えたのだけれど、結局、また金曜日の夕方に別宅まで走り、一泊して帰って来るという強行軍となってしまった。で、金曜の夕方にこんな所にいるわけだ。

ここ(高坂)で晩飯を食って、別宅に午後8時過ぎに到着。一泊して土曜日の昼過ぎには横浜まで戻ってきた次第。道路は空いていて渋滞はなし。調子に乗って、臨時税金徴収車(笑)にひっかからないよう、周囲に気をつけながら帰ってきた。結局、3時間ほどで帰ってこられたのは新記録かもしれない。

翌、日曜(昨日)は、昼過ぎまでゆっくり。朝のうちに、久しぶりの本宅周辺散歩。前にも書いた草ぼうぼうの県有地は、とりあえず草刈りが行われていて、モンスター(笑)も討伐されていた。(こちらの記事参照

さて、夕方5時過ぎの飛行機を予約してあって、3時くらいには出かけようと思って準備をしていたのだが、ここで思わぬアクシデントが・・・。電話が鳴ったので、取ろうとして、足元に散らかっていたガラクタに足を取られ・・・・見事にすっころんでしまった次第。結果、膝をしこたま打っただけでなく、おでこにあざができてしまった。転んだ拍子におでこを家具にぶつけたのだが、幸いにもプラスチック製の角が丸いやつだったので大怪我せずにすんだ次第。まったく油断大敵というか、慌てちゃいかん、というか、そもそも散らかすな!!!というご神託かもしれない。(苦笑)やはり、足腰も少しずつ弱ってきているということだろう。体力維持もさることながら、もう少し慎重に動くようにしたほうがいいのだろうな。

膝の方は、お皿の周囲の筋を痛めたようで、普通に歩いているときは大丈夫だが、階段の上り下りなど足を曲げると痛む。で、駅まで歩く途中の薬局で湿布薬を買って貼ってから空港へ向かった。

小松に着いた頃には、既に日も暮れていて、レンタカーを借りて駅前のホテルまで移動して、昨夜は一泊した。寝返りを打つと膝が痛むのでちょっと寝苦しい一夜だった。明けて今朝、小松は薄曇りの天気である。

10時にホテルをチェックアウトして、車で墓地まで行き、先日供えた花とか線香などを片付ける。それから、少し時間をつぶして、実家跡地の買い手の会社の事務所で、不動産屋と行政書士さんの立ち会いで引き渡しの手続きをする。これも滞りなく終了。これで、母が逝ってからあとの諸々整理も一区切りである。これで、本当に小松との接点は墓だけになってしまった。この町に来るのも、墓参りくらいになってしまう。ちょっと寂しさもあるが、これも一つの区切りである。時間があったので、空港まで行って昼飯を食い、また例によって海辺のレストハウスに行って、時間つぶしとオンライン会議を一つ。このところ結構頻繁に来ていた場所だが、これからは、来ても年に1,2回だろう。

午後3時半くらいに空港へ戻って車を返す。それから、展望デッキでこんな絵を撮り、それからラウンジでビールを2杯。

ほろ酔い加減で搭乗。機材はB737-800なのだが、中にこんな寄せ書きが・・・。

今日をもって、ANAのB737はすべて子会社のANA Wingsに移籍し、ANAとしてはこれが最後のフライトになるらしい。737のクルーも、他機種に移るとのこと。今回はちょうどラストフライトに乗り合わせたようだ。

離陸は定刻。飛行も順調で、定刻に羽田到着。行きも帰りもスポット発着で、バス送迎である。

プレミアムクラスで、一応機内食が出たのだが、ちょっと物足りず、空港で蕎麦を喰って(ついでにビール(クラス)も・・)帰ってきた。今回は羽田まで電車だったので、帰りは飲んでも問題なしである。新子安駅近くのスーパーで買い物して、午後8時過ぎの帰宅となった。いやはや、慌ただしい一週間だったが、これで実家まわりも片付いたので、少し落ち着きそうだ。

今朝の小松はかなり雲が多いお天気。早朝はまだ降っていなかったのだが、9時頃にはぽつりぽつり・・・。10時にホテルをチェックアウトして、時間つぶしのドライブ。この時点で、石川県は能登方面に大雨特別警報が出て、何やら大荒れの気配。ただ、加賀方面は降ったり止んだりで、それほど激しい雨にはならなかった。

北に行くと雨が激しくなりそうなので、とりあえず、車のインプレッションをかねて、福井方面まで下道で走る。今回のカローラツーリングは、ほぼ新車っぽい感じで、なかなか快適である。これまで乗った他の車に比べると、クルーズコントロールまわりの性能が少し上がっているような感じ。車線キープのアシストも違和感が少なく悪くない。まぁ、10年以上前の車と比べるのもアレだが、今のうちの車に比べると(メーカーは違うが)ずいぶん進化した感じである。

結局、国道8号を福井あたりまで走って、帰りは北陸道に上がる。まだ、時間があるので、PAごとに休憩。金沢までの区間で唯一のSAである尼御前で何か喰おうかと思ったのだけど、フードコートの自販機でiDのタッチ決済が使えないので断念。表の看板では使えることになっているのだけれど、自販機に張り紙があって電子マネー系と交通系カードしか使えないと書いている。この食い違いはやめてほしい。ちょっと腹が立ったので、ここはパスして先に走ることにした。

このあたりではまだ雨は降っておらず、湿気が多くて蒸し暑い感じ。気温も30℃くらいある。小松を過ぎたあたりで、ぽつぽつ降ってきたが、それほどきつい降りにはならず。昼過ぎに徳光PAに入って、軽くうどんなどを食う。先日も書いたが、こんな海岸沿いのPAである。

ここで少し時間を潰してから、金沢へ。午後1時半過ぎに金沢駅に到着。

帰りの列車が2時19分発なので、車を返してから少し時間をつぶす。このあたりから金沢も本降りの雨。金沢駅を出てからしばらくは結構激しく降っていた。富山県に入って一度小やみになったが、富山手前あたりからまた激しく降り始めた。富山駅で、ホームを見ていたら、なにやらイヤホンを着けて黒いカバンを持った目つきの鋭い男が数名。どうみてもSPである。黒のスーツのグループが乗ってきたのだが、その中にもそれっぽいオトコが混ざっている。どこかの政治家のグループだろうか。おそらくご本尊は最後尾のグランクラスに乗ったのだろう。グリーン車に乗ってきたのは、同行者のようだ。以前小松便の飛行機で、森某に出くわしたときもそんな感じだった。今回は誰だったのだろう。あれこれ妄想しながら、気がつけばもう長野手前まで来ていた。宇奈月黒部と糸魚川を通過したので、ちょっと速い感じである。長野、上田、佐久平と進むあたりで、雲をかぶった浅間山が見えてくる。

金沢から2時間弱で軽井沢に到着。碓氷峠方向には霧がたちこめているが、雨は降っていない。

連休とあって、軽井沢は大混雑である。いつもスーパー(デリシア)で買い物をして帰るのだが、駐車場が満杯で、駐車スペースを探す車が右往左往している。入ってからパスすればよかったと後悔したが、幸運にも目の前で出て行った車があったのでそこに停めて買い物をする。軽井沢(旧軽井沢)から中軽井沢までの道はいつもよりも激しく渋滞していたが、そこから先は比較的順調に流れて、午後5時半頃に別宅に到着した。さて、実家整理の小松行きもあと一回である。

最初の連休終盤から天気が悪化。今週前半はぐずぐずした天気が続いたのだが、水曜日は久しぶりに青空が戻ってきた。

このところ、ずっと雲がかかっていて見えなかった「お山」(浅間山)も、こんな感じで久しぶりに姿を見せた。

それでも、夕方から夜にかけては雷雲が発達して、雷や雨になるという不安定な天気は続いていて、夕方に温泉へ行って浸かっている最中に雨になり、しばらく雨宿りを強いられるということも何度か・・・。この日はかろうじて降る前に帰ってきた。いつもの温泉があるホテルは、ちょっと気の早いハロウィーンモードになっている。別荘地界隈では、そろそろ秋の気配も漂い始めている。

さて、そんな感じの今週、中東方面から、仕事柄気になるニュースが舞い込んできた。レバノンでヒズボラの戦闘員が持っていた通信機器がいきなり爆発したという事件である。報道では、イスラエルの情報機関であるモサドの工作との見方が伝えられている。最初の爆発はポケベル、その後、日本製とみられる無線機が爆発したのだが、どうやらヒズボラに渡る前に、爆発物が仕掛けられていて、遠隔操作で爆破できるようになっていたらしい。まるで、スパイ映画さながらの事件だが、実際、こうした工作を情報機関がやること自体は、それほど特別な話ではないらしい。実は、先日参加したコンファレンスでNSA(米国の情報機関)のサイバー担当者が話していたのだが、米国の情報機関でも、対象となる組織に納入される機器を流通過程で改ざんして、特殊なソフトウエアやハードウエアを埋め込むオペレーションは時々行われているらしい。主に監視や情報収集が目的で、今回のような爆発物ではないのだが、これも、その気になればできてしまうのだろう。

気になるのは、こうしたことが現実に発生したニュースが与える影響だ。情報機関や捜査機関のレベルでは、そろほど驚く話ではないのだろうが、これまでスパイ映画や小説の世界の話だと思っていた人たちが、現実を突きつけられ、疑心暗鬼になってしまうのが怖いなと思う。おそらく政治的にも、もう一度点検しろという号令が(少なくとも内々に)かかりそうだ。某国製の機器を排除する動きも以前からあるのだが、この問題はそれとは本質的に異なる。製造国を問わず、流通の過程でこうした工作が行われる可能性があるのだから、問題はかなり深刻である。改ざんされるのは完成品だけとは限らない。部品やコンポーネントのサプライチェーンが狙われる可能性もあるから、流通も含めたサプライチェーン全体の安全確保が必要になる。たとえば、流通経路にある倉庫や運送途中のトラックなどにも介入の余地があるわけで、さて、どこまで考えればいいのか、とりわけ民間企業にとっては悩ましい事態になる可能性もある。

ただ、一つ言えるのは、いわゆる重要インフラに関わる機器などについては、こうした観点が必要になるだろう。いわゆるAPTの標的になるような対象については、この際、あれこれ見直してみる必要があるのかもしれない。

よく、「想像できることは実現できる」と言うが、攻める側も守る側も、「想像力」が勝負になりそうだ。今回の事案も対岸の火事とはせず、もう一度想像力を働かせて見る必要があるのかもしれない。

さて、話を戻そう。そんな今週、昨日の夕方、軽井沢から新幹線で金沢に向かう。先に申請した相続登記の結果を確認して書類を受け取るためである。

今回も、金沢で新幹線を降りて車を借り、小松へ向かう。今回の車はカローラツーリング。いわゆるツーリングワゴンタイプなので、今の車と同じ系統である。これも買い換え候補の一つなので、試乗をかねて借りて見た。ハイブリッドタイプだが、加速感やあれこれ使い勝手も悪くない感じである。さて、このクラスで考えるのであれば、あれこれオプションをつけてもなんとか予算内に収まりそうだが、前にも書いたように頑張ってPHEVを買うかどうかが悩みどころである。

午後7時半頃に小松到着。空には中秋の名月を2日、そして満月を1日過ぎた月が出ている。予報では、天気が悪い感じだったが、一夜明けた今朝は快晴になった。

朝食のあと、ホテルの近くにある法務局(出張所)へ行き、登記完了の確認と書類を受け取ってくる。これで今回の目的は完了。その後、ホテルへ戻って、オンライン会議をひとつこなす。この会議をホテルの部屋でやりたいために、小松で連泊することにしたわけだが、昼過ぎに、ざっとシャワーを浴びてから散髪に行き、それからお彼岸の墓参りをする。午後からはちょっと暇になってしまったので、また、いつもの海辺に来て、まったりしながら、これを書いている次第である。

今夜は小松に泊まり、明日はどこかで少し時間を潰して、午後に金沢から新幹線で軽井沢に戻る予定だ。一連の実家整理も大詰め。あとは、月末に引き渡しと登記の手続きに立ち会えば終了である。あと一回来れば、その後は墓参りを除いて、来る用事がなくなってしまうのは、ちょっと寂しい感じもしないではないが、これも時の流れ・・・なのだろうな。

実家の解体も完了して、土地の買い手もつき、今日はその契約をするために小松を訪れている。朝9時前にホテルをチェックアウトして、市役所へ行き、午後からの登記手続きに必要な書類を入手。それから契約の前に、実家の跡地を見に行ったら、既に結構草が伸びていた。

契約は滞りなく終了。あとは、漏れていた通路部分の相続登記を終わらせれば、売却完了となる。実は、もう終わっていたと思っていた相続登記だが、共用の私道部分の持分について手続きが漏れていたことが発覚、急ぎ手続きが必要になったので、今日は午後に法務局へ行き、登記申請を出すことにしていた。土地の評価額など市役所で情報を得なければいけない事項があって、書類をあらかじめ印刷して行けなかったので、今回はPCとポータブルのプリンター持参という荒技で対応した。とりあえず昼頃に、いつもの海辺のカフェでお茶しながら書類を作成する。

とりあえず書類を印刷してから、すこしまったりする。今日の小松は結構暑かったのだが、海辺は少し暑さが和らぐ。

天気がいいので、空と海の青がここちよい。

で、午後に法務局へ行き、手続き。書類に一部不備があって、その場で修正、プリントアウトしたり、関係書類のコピーのため、近くのコンビニへ行ったりと、少々手間取ったものの、どうにか申請を完了。それから車で少し走って、道の駅に行って、そこでオンライン会議を一件こなす。そのあと、墓の様子を見に行って、まだ少し時間が余ったので、金沢に向かう途中のPAでちょっと時間つぶし。海岸の消波ブロックの上のこんなものが・・・。

インスタ映え狙いのオブジェっぽい。何組かのカップルがこれをバックに写真を撮っている。うち一組の高校生っぽいカップルだが、歩きながら男の方が彼女の尻をしきりになでなでしている。まったく、少しは人目をはばかれよ・・・と爺は心の中で叫ぶのである。(苦笑)

いい時間になったので、また走って金沢へ。車を返してから、少し時間をつぶす。

とりあえず、これで今日の日程は終了。駅で弁当を買って、車内で喰う。

軽井沢から別宅までは車なので、ビールはお預けなのが残念。あとは、これを書きながら過ごす。気がつけば、もうすぐ長野。軽井沢まで、あと少しである。

今回の飛行ルートは、いつもに比べるとかなり南より。台風がゆっくり北上しているの、真っ向勝負を避けた形である。その分、時間はかかるので、乗り継ぎを気にする身とりては、ちょっと辛い。ラスボス台風は最後まで気をもませてくれる。おまけに羽田へのアプローチは16L、つまり都心上空からアプローチする最近できた新ルート。このルートは埼玉辺りまで一旦北上してから南下するので、34アプローチや22./23アプローチに比べて倍くらい時間がかかってしまう。普段なら都心の景色を窓から見られるので楽しいのだが、今回はちょっと精神的によくないのである。

前の席の米国人とおぼしき女性(なかなかの美人)とアテンダントが話しているのを聴いていたら、彼らはスカイツリーを東京タワーだと思っている様子。訂正してやりたい気分だったが、野暮なので口を挟むのはやめた。とりあえず、羽田には午後3時半くらいに到着。

今回、到着が遅れまくったので、この週末の墓参りのため、そのまま郷里へ飛ばざるを得なくなってしまった、しかし、5時すぎの小松行きに乗れるかどうかは、荷物次第な感じである。例によって、サテライトの一番端のゲートから入国審査場まで、コンコースの端から端まで歩く。そろそろこちら側にも入国審査場を作るべきである。さておき、今回は荷物を預けてしまったので、いずれにせよ待ちは生じるだろうから、比較的のんびり歩く。入国審査場を通過して、荷物返却台周辺の大混雑を見てちょっと寒くなる。前日の欠航騒ぎで臨時便やら振り替え客やらが殺到した結果なのだが、ここで時間を食われてしまうと、またしても乗り継ぎに間に合わなくなってしまう。だいたい、あれだけあちこち飛ばされて、荷物がまともに届くことの方が不思議である。ロスト覚悟なのだが、ロストしたかどうかは、荷物が全部出てこないとわからない。いったい出てくるのにどれだけ時間がかかるのか。図らずもラスボス戦は魔王の逆転勝利・・・かと思った時に、ターンテーブルの脇にATLANTAと書いた札をつけたカートが目に付いた。よく見ると私の荷物が乗っているではないか。歩いてくるよりも速く荷物がここまで届くはずもないので、おそらく、別便で送られてきたのだろう。なんと、待ち無しで受け取ることができた。これは嬉しい誤算だ。グッジョブ、デルタ!!である。

おかげで、さっさと第2ターミナルへ移動してANAのラウンジで一息入れることができた。それから、5時5分発のANAで米国帰りの荷物ともども小松へ向かう。

しばらくぶりに見る富士山は「黒富士」だった。

台風直後で待機が不安定なのだろう。雲が、樹氷林のように見える。

とりあえず、ほぼ定刻に小松着。フライトレーダーで見ていたら、直前に千歳からの便が着陸した模様。機内持ち込みも面倒だったのでスーツケースは預けてしまったのだが、小松なので受け取りにはそれほど時間がかからないだろうと踏んでいた。ところが、先に着いた便には中学か高校の運動部っぽいグループが多数。大量の荷物を預けていて、返却台はごったがえし状態。そもそも、ターンテーブルがJAL用とANA用一台ずつしかない小松空港である。こうなってしまうと、千歳便の荷物が全部出てしまうまで荷物を受け取れない。これも魔王の意趣返しだろうか。(苦笑)実は、泊まったホテルにも同じようなグループが多数泊まっていて、どうやら何かの全国大会的なものが今週開催されるような感じである。

とりあえず、荷物を受け取ってからレンタカーを借り、予約してあった駅前のホテルにチェックインして、妹と合流、晩飯を食いに行って、昨日は終わり。

今朝は9時半にホテルを出てから、線香や花などを買い墓参りに行く。妹が帰る電車の時間まで間があるので、いつも行く安宅の関蹟近くの海辺のレストハウスへ行ってお茶する。こんな海を見ながら、しばらくまったりとした時間を過ごした。

午後1時半くらいに、妹を駅まで送り、それからまた時間つぶしのドライブ。これもまたいつものパターンで白山麓方面へ走って道の駅で蕎麦を食う。それでもまだ少し時間が余ったので、(取り壊した)実家近くにある平和堂へ行って、ベンチで少しうとうとしたり、フロアを歩き回って歩数を稼いだり・・・。とりあえず、いい時間になったので空港へ向かい、車を返す。休日の小松空港はスクランブル以外は空自機が飛ばないので静かだ。

ちょうど、こんな機体が離陸していった。

で、ラウンジに収まってビールを二杯。今日は羽田から電車なので気にせず飲める。

羽田便は10分ほど遅れて出発。途中、結構頑張って遅れを取り戻したようだが、今度は羽田周辺が大混雑中。フライトレーダーで見ていたのだが、着陸は22がメイン。いつもの22アプローチだと、幕張の沖合から東京湾の縁に沿って、ディズニーランドをかすめ、ゲートブリッジを右に見て左旋回して城南島脇を通って着陸するパターンなのだけれど、混雑時や視界不良時は、もっと内陸まで入って大回りする。着陸機の行列を引き延ばすのと同時に滑走路に正対する区間を長く取るためのようだ。16L/Rの都心経由アプローチほどではないが、その分時間がかかる。結局、到着は30分ほど遅れた。あとは、いつものように京急で帰るだけである。問題は駅から家までの歩き。米国帰りの大荷物をかかえて、歩道橋を二つ越えて・・・。今夜も熱帯夜。コンビニで買い物をしてから家に帰り着いたころには汗だくになっていた。

これにてようやく冒険旅行は完結である。次回もまた、乞うご期待(違)である。(次回は10月、これがフラグ発言になりませぬように・・・(苦笑)

なにやら次から次へと問題が降りかかって、それを乗り越えながら旅をしているとなんとなく冒険をしている感覚になる。こうなれば開き直って楽しむしかないのかもしれない。

さて、午前4時45分にデルタのラウンジが開いたので、入ろうとしたら、そこでちょっと一悶着。変更を繰り返した旅程に乗りそびれたJALの便が入っていたことから、ラウンジに入れないという話になって、さすがにちょっとキレてしまう。まぁ、予約変更時に古い記録が残っていたのが原因で、最終的には丸く収まったのだが、疲れのせいか、ちょっとキレやすくなっているかもしれないなと反省。

さて、結局完徹になってしまったのだが、軽く朝飯など食って、早朝のアトランタ行きに搭乗する。そして定刻に離陸。

2時間ほどのフライトは順調。また南へ下り、ワシントンDCあたりを飛び越える。

やがてアトランタが近づいてくるとこんな景色も・・・。

アトランタ郊外にある「スト-ンマウンテン」という岩山で、周辺が開拓時代をイメージしたテーマパークになっている。昔、アトランタの取引先にちょいちょい来ていた頃に、休日を利用して遊びに行ったこともある場所だ。間もなく、アトランタのダウンタウンを遠目に見ながら着陸態勢に入る。

乗り継ぎ時間が短いのがちょっと心配だったのだが、羽田行きも30分ほど遅れていて、ちょうどいい感じで搭乗ゲートに到着した。

ここまでくれば、冒険の旅も最後が見えてくる。そもそも今回の元凶であり、ラスボス魔王でもある台風。ゲームならばこれからラスボス戦ということなのだが、とりあえず、その頭上を越えて戦いは回避してゲームクリアである。そう思って搭乗し、ウエルカムドリンクのスパークリングワインなどを飲みながら出発を待つ。

しかぁし!!、魔王をなめてはいけなかった。出発時刻をすぎても、一旦ドアが閉まって、さて、プッシュバックを待つのだが、また、なかなかプッシュバックされない。デトロイトの悪夢が頭をよぎる。そのうち機長からアナウンスがあって、重量オーバーで荷物の調整をしているという。どうやら魔王戦(笑)に備えて燃料を積みましたことが災いして規定重量を超えてしまったらしい。様子を見ていると、一旦離れたボーディングブリッジが戻ってきてドアが開き、なにやら乗客の一部を降ろし始めた。たぶん、私のように他の便からの振り替えだが、予約が取れず空席待ちをしていた乗客たちだ。かわいそうに重量調整に使われたっぽい。まさに魔王の呪いである。一部は一度戻ってきたが、最終的にまた降ろされてしまった。その後、一旦ドアを閉じたが、まだ動かない。そのうちまたドアが開いて、今度は他便への振り替えボランティアの募集である。オーバーブッキングが日常茶飯事の米国では、ゲートでよく見られる光景だが、3000ドルあげるから、明日の便にしない?というお誘いだ。なんとなく修羅場っぽい感じになってきた。結局5人ほどが手を上げたようで、これでようやく重量超過が解消されたようである。結局、もともとの出発時刻よりも3時間近く遅れて出発することになってしまった。ラスボス戦は意外なところで始まっていた感じである。恐るべし魔王。

まぁ、飛んでしまえば、よほどのことが無い限りは羽田まで到着する。台風も羽田から遠ざかっているはずなので、これ以上何も無いことを祈りたいところだ。さて、帰りの機内食は、和食選択。しかし、この便は前菜とメインを一緒に持ってきた。これは以前のシアトル便のパターン。

これをされると、前菜をつまみにして酒を呑んでいる間にメインが冷めてしまうのである。シアトル便はフィードバックに書いたらその後改善された。ロサンゼルス(LAX)便は、以前から別にして持ってきてくれる。たしかミネアポリスやデトロイト便もそうだったと思うのだが、アトランタ便は盲点だった。あとでフィードバックに書いておくか・・・。

それから、とりあえず一眠りして、飛行機が太平洋上に出る頃、日本時間の6時過ぎに起きて活動を再開。でも、ネットが繋がらない。そもそもWiFiのアクセスポイント自体が落ちてしまっている。アテンダントに聞いたら、海上では通信ができないので切っているとのこと。いや、以前は使えたけどと言うと、フライトによって積んでいるWiFiが違うので・・とのことで、一旦諦めることにした。でも、アクセスポイントはその後復活し、ネットも不安定ながら使えるようになったので、まぁ、よしとしよう。あれこれしていたら、フライト途中の軽食はどうだと聴かれたので、こいつをたのんでみた。

味は悪くない。このサービスは今回初めて。飛行時間が長いのでありがたいのだが、以前アトランタ便に乗ったときはなかったような気がする。頼めば出てきたのだろうか。この時点での到着予定時間は午後3時台。さて、4時50分の小松行きに乗って、現地で妹と合流、明日、墓参りなのだが、これでは家に帰っている時間が無い。仕方が無いので、そのまま荷物を持って国内線に乗ってしまうことにしたのだが、月曜日に現地でしようと思っていた手続きに必要な書類を家に置いたまま。しかたがないので、これはまたの機会にすることにして、日曜の宿泊をキャンセルし、月曜の帰り便を日曜に変更したり、レンタカーの予約を変更したり。これも魔王様の祟りである。まぁ、いたしかたなし。そんな感じで、そのあとこれを書き始めた。羽田までまだ5時間ちょっと。さて、昼寝でもしようか。

長い旅路へ

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今朝も快晴、暑いオースティン。ゆっくりめに起床し、ざっとシャワーを浴びてから、軽い朝飯を食い、11時にホテルをチェックアウト。Uberで空港へ向かう。とりあえず、デルタのカウンターでスーツケースは預け、セキュリティチェックを抜けてラウンジへ。セキュリティは比較的空いていて、お昼前にはラウンジに入ることができた。

さて、ここで4時間ちょっと時間をつぶさなければならない。フライトは午後4時45分、搭乗は4時頃なので、ずいぶん時間がある。今日は、まずデトロイトまで3時間。そこからさらに乗り継いでニューヨーク(JFK)まで2時間で、時差を1時間積みまして午後10時過ぎに到着し、午前1時45分発のJAL羽田行きに乗り継ぐことになる。そこからさらに14時間のフライトで、ようやく午前5時前に羽田へ・・・という段取りだ。本来なら、朝7時の便でロサンゼルスへ飛び、そのまま羽田行きに乗り着いで、16日の午後には到着予定だったのだが、台風17号の直撃で帰国便がキャンセルになってしまった結果、こうなったわけだ。まぁ、自然には逆らえないし、少し余計に旅が出来るのだから、よしとしておこう。

現在午後3時10分すぎ。搭乗便は少し遅れているようだが、あと1時間ほどで搭乗である。


【追記】冒険の旅路は続く

とりあえずデトロイト行きに搭乗して3時間。まぁ、エコノミーの真ん中席だったことを除けば、大きな問題も無くデトロイトに到着。しかしまぁ、到着ゲートは97番で、乗り継ぎは3番。差し渡し1マイルくらいありそうなデトロイトのメインコンコースの端から端まで移動することになる。

まぁ、もちろん歩くわけではなく、トラムを利用するのだが、よりによって端から端までとなると、なんとなく意地悪されている感覚になってしまうのである。

でも、搭乗時刻には間に合って、ここからはファーストなので楽ちん・・・とのんびり構えていたのだが、出発時刻を過ぎても出発しない。ニューヨーク周辺の航空路混雑・・・ということのようなので、これもいつものこととタカをくくっていた。JFKでの乗り継ぎ時間は2時間以上あるので、まさか・・・と思っていたのである。で、ようやく動き出して滑走路へ向かうか・・・と思いきや、途中で止まってしまう。しばらくしてアナウンスがあり、なにやら不具合が生じてゲートに戻るという。このあたりから、なにやら嫌な空気が漂い始める。キャンセルとか頭をよぎるが、比較的短時間で問題が解決して出発準備に入る。しかぁし!!、ドアは閉じたものの、いつまでたってもプッシュバックが始まらない。やがて、アナウンスがあって、地上スタッフの手当が付かないという。おそらくぎりぎりの人員で回しているのだろう。予定にない作業に割り当てる人員がいないということらしい。思わぬ問題で、さらに小一時間出発が遅れてしまい、いよいよ乗り継ぎの余裕がなくなっていく。

ようやく飛んだのだが、既に乗り継ぎ時間は1時間を切ってしまっている。しかも、巨大なJFKで、ターミナルを移動しなければならない。離陸後はかなりスピードを上げたようで、比較的短時間でニューヨーク周辺まで到着した。多少望みを繋いだのだが・・・、これもあっさりと裏切られる。巨大な空港の着陸からターミナルまでの走行時間はかなり長い。おまけに、これが最後のとどめなのだが、ゲートの場所が悪くて、直接飛行機が入れず、一旦エンジンを切って牽引して貰わなければならないとのこと。そんなこんなで結局、乗る予定だったJALの羽田行きには乗れず、翌朝のアトランタ便に再度振り替えられてしまった。夜中の1時過ぎで、宿もなく、もうカウンターに係員もいない中で、とりあえずサポートに電話して、翌日の航空券を発行して貰い、セキュリティを抜けてゲート脇でラウンジが開くのを待っている、それが今の状況である。

アトランタ行きの飛行機は6時発、ラウンジは4時45分まで開かないので、それほどゆっくりもできない。現在午前4時。結局今夜は空港で夜明かしである。

GRC Conference終了

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昨夜もいまひとつ熟睡できず、ちょっと辛い朝。コロナではないものの、風邪の状態もあまりよくなくて、痰がからんで咳も出る。そんな感じで朝になり、今日は少し遅めに会場へ向かう。途中でまたリスを発見。

今日は最終日なので、午前中にクロージングがあって、それで終了となる。来年はお盆直後にニューヨークらしい。さて、DEFCONも行きたいのだが、両方は日程的に難しそうなので、またどちらかを選ぶことになりそうだ。

コンファレンスはお昼でお開きとなり、一旦ホテルへ帰って昼寝する。途中の薬局で風邪ぐるりを買ってきて飲んで寝ることにする。ホテルの窓からはこんな景色。天気はいいが、その分外は暑い。気温はラスベガスほどではないが、湿気があるので、体感的には同じくらいの感じだ。

昼寝の後、4時前くらいからちょっと市内散策にでかけた。州議会議事堂周辺の歴史地区は緑が多く、あちこちに銅像などが建っている。

開拓時代や南北戦争時代の記念碑っぽい感じである。

で、今度はこの通り沿いを南に下ってみる。

GRC会場だったマリオットを過ぎて少し歩くとコロラド川に突き当たる。数年前に来た時はこの川沿いのホテルに泊まっていた。

このあたりで、そろそろ暑さに耐えられなくなってきたので、ホテルへ戻ることにする。この帰り道が結構長かった。

ホテルに戻ったら汗が噴き出したので、しばらく休んで汗が引くのを待ち、それから晩飯を食いに近くの肉屋(笑)にいく。

テキサスの肉を食うなら地場のステーキハウスなのだが、ホテルの前にあったステーキハウスはなにやら高そうだったので、こちらのチェーン店にした。この系列店はハズレがないので、よく行くのである。まぁ、それでも百数十ドルコースになってしまうので、結構厳しいのだが・・・。円安もさることながら、米国の物価もかなり上がっている。感覚的にはドルベースで数年前の2割~3割増しくらいになっている感じだ。

以前は16ozのニューヨークステーキとかをガツガツ食っていたのだけれど、流石にもうそこまでは食えない。付け出しにたのんだホウレンソウのクリーム煮が結構重くて腹一杯になってしまった。

地物のビール2杯とグラスの赤ワイン1杯でいい感じになり、ホテルへ戻る。午後7時過ぎだが、まだ空は明るい。

で、ホテルに戻ったらちょっと悲しいお知らせが届いていた。明日ロサンゼルスから乗る予定だった羽田行きの便が台風のせいで欠航になったとのこと。予報を見ながらいやな予感はしていたのだが、的中してしまった形だ。一応振り替えてはくれたのだが、デトロイトとニューヨークを経由して、JALの羽田便で帰るという大回りコースになってしまった。しかも、オースティンからデトロイトまでの区間は満席のエコノミーの中央席。まぁ、3時間ほどなので、我慢できないことはないのだが、ここはアメリカ。「お肉の塊」的な奴が隣に来たら最悪である。もう、そうならないことを願うしかない。あと、スーツケースは預けてしまったほうがよさそうである。ニューヨークから羽田は夜行便で、朝の5時前に到着する。ほぼ始発電車で帰る感じだ。17日は遅い墓参りで郷里にいく予定なので、一度帰宅して、すぐに羽田に折り返さなくてはいけない。ちょっとドタバタしそうだ。まぁ、朝7時発だった便が午後4時過ぎの便になったので、明日はゆっくりと寝ていられる。ホテルをチェックアウトしてからどう時間を潰そうか考えているのだが、大荷物をかかえて市内を歩き回るのも辛いので、早めに空港へいって、ラウンジでのんびりしているのもいいかもしれない。まぁ、色々あるのも旅の醍醐味である。

オースティンに入って3日目、そしてGRC Conferenceの二日目である。昨夜はノドの状態が少し悪化。鼻づまりも出て、なかなか眠れず。例によって夏風邪をもらってしまったらしい。今朝は7時過ぎに起床して8時前に宿を出た。

朝のキーノートは元NSAで、アクティブディフェンスに携わっていた女性。最近日本でも話題に上がる能動的サイバー防御なのだが、こちらは先制攻撃を躊躇せずにかけていくので、本質的に異なる。平時は主に情報戦であり、敵は中国、ロシア、イラン、北朝鮮といったあたり。中でも節操がない北朝鮮は頭痛の種だったらしい。金目当ての金融機関や暗号資産への攻撃は有名である。そうした国を相手に回すのだから、こちらもそれなりの人材を揃えないといけない。しかし、そういう連中に限って、組織の枠に押し込めるのは難しい。そんな「ヲタク」たちを管理するのも仕事だったらしい。出勤してきたら、ますシャワーを浴びさせるとか、結構笑える。そんな感じで、結構生々し話を聴くことができた。実際、きれい事は通用しない世界のようである。日本の国家機関では、まず無理な形だろう。

昨日は途中でちょっとサボってしまったのだが、今日はとりあえずフルで会場に詰めて話を聴いた。今年もAI系のセッションが多いのだが、去年に比べると、より具体的な応用例が覆うなっているように思える。やはり、彼らはAIを使いこなせるかどうか(使えるかどうかをみきわめることが、自分たちの命運を分けると考えているようだ。

今日の最後は「ゼロトラスト」の実装に関する話。この言葉が単なるバズワードと化してしまっている日本ではなかなか聴けない話だが、マイクロソフトのオンプレ、クラウドのソリューションを使った実装がの話がなかなか面白かった。実際、MS365やDefender関連のサービスは私も少し使ってみてはいるのだが、全体を俯瞰してみると、必要な機能がひととおおり揃っていて、それを一元管理出来る枠組みがあるのがなかなかすごいのである。まぁ、例によって独禁法の訴訟とか起こされそうな懸念はあるのだが、そもそもセキュリティ対策の多くはOSなどのプラッタフォーマーが実装すべきものである。彼らが当初、それをサボっていたから、アンチウイルス業界みたいなものができあがってしまったわけだ。マイクロソフトの動きを見ていると、そうした状況を巻き戻そうとしているようにも見えるのだが、今となっては軋轢を生むことは必至だろう。さておき、使う側からすれば、ワンストップですべて揃うのは魅力的である。

そんな感じで今日は終わって、宿に帰る途中、薬局によってコロナの検査キットを買ってきた。たぶん風邪だと思うもものの、一応確認しておかないと、帰国後に面倒だ。ということで、宿に帰って早速検査する。

結果は、見ての通りの「シロ」判定。まずは、これでひと安心である。とりあえず腹も空いたのでホテルのロビーにあるバーで軽く食事をする。

テキサス地物のIPAと白ワインなどを飲みながら、クラブケーキを食って今日の晩飯は終わり。

さて、明日はGRCの最終日。午前中にクロージングのキーノートがあって、それで終わりである。天気が良くて体調がよければ、午後から少し市内を散策してみようかと思っている。そんな感じで、今回の高飛びも大詰めである。

オースティンの一夜が明け、今日からISACAのGRC Conferenceに参加する。米国中部時間帯では、西の方に位置するからか、午前6時はまだ真っ暗で、7時になってようやく明るくなる。その分、夜は遅くまで明るいので、ちょっと感覚が狂ってしまう。昨夜はあまりよく眠れず、ノドの調子も最悪。売店で水を買うのにも難儀する始末。困ったものである。とりあえず、7時過ぎに宿を出て2ブロックほど先にある会場のJWマリオットへ。道沿いにはこんなものが・・・。

女性がショットガンとかをぶっ放すシーンは西部劇などでよく見るのだが、大砲は・・・。なかなかの肝っ玉ばーちゃんである。オースティンはテキサスの州都。この通りの突き当たりは州議会の議事堂である。

オースティンはこれが3回目。ダウンタウンは2回目である。今回の会場は、前回来た時にISC2(当時はまだ (ISC)2だった)Congressが開かれた場所である。歩いていたら、リスをみかけた。

こんなあたりもアメリカの街らしい。野鳥も多くて、人がいても逃げようとしない。まぁ、したたかに大都市で生きているという感じだろう。

今年も、冒頭のキーノートから、AIねたである。これからAIはどうなっていくかという話なのだが、なかなか面白かった。ISACAは、IT系のガバナンスや監査といった部分にフォーカスした団体なのだが、そうした分野でも既にAIの応用は始まっている。こちらの人たちの感覚は、むしろ積極的に使っていこうとしているように見える。だから、こうしたコンファレンスでも、「使う」というスタンスでの話が目立つのである。実際、AIの応用は様々な分野に恩恵をもたらしつつある。特に科学や医薬分野では、AIによって大きな変化がもたらされようとしており、それは、人の幸福にも結びつく。一方で、人の社会は変化を余儀なくされるだろう。産業革命以降、人の暮らしや社会を大きく変えてしまうような発明はいくつもあった。蒸気機関から始まって、自動車、電気、電話、コンピュータ、インターネット・・・。これらによって、これまでの暮らし方が大きく変わってしまった人たちも多い。当然、抵抗や軋轢も大きくなる。しかし、こうしたテクノロジーはどれだけ抵抗しようと、一度動き出すと止めることは難しい、なぜなら、こうした技術は新しい可能性を人々や企業にもたらすからである。一度それを知ってしまった人たちは後戻りができない。結果的に、どんどん広がってしまうのである。当然仕事を失う人も出るし、既得権を失う企業もある。規制を求め声は、主にこういうところから出てくる。そういう意味では政治家だってそうだろう。しかし、流れを止めることは出来ない。一つの国が規制に走っても、他の国が突っ走れば、結果的に突っ走った方が優位にたつことになる。とすれば、国や政治家がすべきことは、そうした技術の利用を進めつつ、悪影響を緩和することだ。あらたな技術でなくなる仕事があるならば、今後必要となる新たな仕事を作り出し、仕事を失う人たちが無理なくその仕事につけるように支援することだ。ただ、AIは、これまでの技術とはちょっとレベルが違う。単純労働だけでなく、ある程度知的な仕事も肩代わりしてしまうからだ。リスキリングという言葉が流行なのだが、AIを念頭に置いたリスキリングは簡単ではない。AIを使いこなす・・・と言っても、そもそもAIを使いこなすべき目的を考えつく発想が必要になる。こうした発想は一朝一夕で身につく物ではないだろうから、それこそ、教育のあり方からして変えていかなければいけない。ただ、そんな時間的猶予はなさそうだ。AIはどんどん進化している。AIの能力を示す指標であるパラメータ数はここ数年で指数関数的に増えていて、近いうちに、より汎用的で推論能力を持ったAGI(Artificial General Intelligence)が実現しそうだ。そうなると、AI自身が自分自身を進化させることが出来るようになり、進化はさらに加速するだろう。(但し、今のままの莫大な電力消費量だと限界が見えるので、もう一段技術的な進化は必要だ。しかし、それもAIが自己解決するかもしれないのだが・・・)いわゆる「技術的特異点」のような、その先どうなっていくか予想もつかない転換点は、意外と早く来てしまうのかもしれない。そうなった時にAIとどう向き合っていくのか、どう共存していくのか、そろそろ真剣に考える時が来ているのかもしれない。話を聴いていて、そんなことを思った。

午前中のセッションが終わった後、一度ホテルに戻って昼寝をし、午後からまたいくつかセッションを聴いて、夕方のウェルカムパーティーに少し出て、晩飯代を浮かせて帰ってきた。ホテル周辺でよさげなスケーキハウスをいくつか見かけたので、明日か明後日の夜は肉を食いに行くことにしよう。

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